m#「DC」は斜体]. のことである。そしてこの主品なる Juglans regia L[#「L」は斜体]. はペルシャならびにヒマラヤの原産で、いま欧州大陸には諸所に栽植せられてあって、それがペルシャテウチグルミ(Persian Walnut の俗名がある)すなわちセイヨウテウチグルミである。
 以前はこのセイヨウテウチグルミすなわちペルシャテウチグルミの実が食品として輸入せられ、東京の銀座あたりの店で売っていた。その味は今日市場に出ている信州産のテウチグルミからみるとズット優れていた。いま信州に植えてあるものは、無論昔中国から伝えたのもあろうが、しかし明治年間にその実のよい西洋種を植えて改良を図ったと聞いたことがあった。そうすると信州には昔からの樹と西洋からの樹と両方がある訳になる。
 右のペルシャテウチグルミがすなわち俗にいう Walnut であって、このウォールナットの語はもとは仏国での Gaul−nut から導かれたものだといわれる。そしてこのゴールは欧州で広い古代の地名である。
 今日本にはクルミの類が二種しかないと私は断言する。そしてその種々の品はことごとくみなこの二種からの変わりたるものにほかならない。ここまでちょっと想起することは、日本でのオニグルミ一名チョウセングルミ(Juglans Sieboldiana Maxim[#「Maxim」は斜体].)はもとより日本の原産ではなく、もとは大陸の朝鮮種が伝わったのであろうと推想し得る。クルミの名もじつは呉果《クルミ》で朝鮮語原であるからそのクルミすなわちオニグルミは昔朝鮮から入ったものといえる訳で、これに疾くチョウセングルミ(一つにトウグルミともいわれる)の名のあるのも不思議とはいえない。そこで私はオニグルミ一名チョウセングルミをもって、満州、朝鮮ならびに黒龍江(アムール)地方にある Juglans mandshurica Maxim[#「Maxim」は斜体]. すなわちすなわちマンシュウグルミの一変種だと考定したい。果たしてそうだとすれば、その学名を Juglans mandshurica Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. Sieboldiana(Maxim[#「Maxim」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] と改訂する必要を認める。そしてまたヒメグルミすなわちオタフクグルミの学名も従って Juglans mandshurica Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. Sieboldiana(Maxim[#「Maxim」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] forma cordiformis(Maxim[#「Maxim」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] と改めなければならんことは必至の勢いである。すなわちマンシュウグルミからクルミすなわちオニグルミが出で、オニグルミからヒメグルミすなわちオタフクグルミが出たのである。
 小野蘭山《おのらんざん》の『本草綱目啓蒙《ほんぞうこうもくけいもう》』に「真ノ胡桃《クルミ》ハ韓種ニシテ世ニ少シ葉オニグルミヨリ長大ニシテ核モ亦大ナリ一寸余ニシテ皺多シ故ニ仁モ大ニシテ岐多シ」とあるものは恐らくマンシュウグルミを指していると思うが、しかしこれを真の胡桃であるといっているのは誤りで、胡桃の本物はチョウセングルミそのものでなければならなく、蘭山はそれを間違えているのである。
 また、右『啓蒙』に「一種カラスグルミハ越後ノ産ナリ核自ラヒラキテ烏ノ口ヲ開クガ如シ故ニ名ヅク」とあるものは珍しいクルミである。私は越後の御方に対して、これを世に著わされんことを学問のために希望する。また同書に「一種奥州会津大塩村ニ権六グルミト云アリ核小ニシテ圧口※[#「木+奈」、第4水準2−15−9]《ヲジメ》子トナスベシ是穴沢権六ノ園中ノ産ナル故ニ名ヅクト云甲州ニモコノ種アリ」と書いてある。私の手許にこの会津産の権六グルミが二顆あって、かつて『植物研究雑誌』ならびに『実際園芸』へ写真入りで書いておいた。そしてその学名を Juglans Sieboldiana Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. Gonroku Makino[#「Makino」は斜体] として発表しておいたけれど、これもまた Juglans mandshurica Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. Sieboldiana(Maxim[#「Maxim」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] forma Gonroku (Makino[#「Makino」は斜体])Makino[#「Makino」は斜体] としておかねばならないだろう。

  栗とクリ

「栗は日本になくクリは中国にない」。こう書くと誰でも怪訝な顔して眼をクリクリさせ、クリはどこにもあるじゃないかという。その通りクリは日本のどこにもあるが、しかし栗は日本のどこにもない。けれども漢和字典のようなものを始めとして、いろいろの書物にみな栗をクリとして書いてあるではないかと言い張るだろう。
 ところが元来栗というのは中国産のもので、今それを学名でいえば Castanea mollissima Blume[#「Blume」は斜体] であり、西洋での俗名は Chinese Chestnut であって、あの町で売っているいわゆる甘栗がすなわちそれである。この栗は少しは今日本に植えられているようだが、しかしまだ日本でなった実が市場に出ることはなく、そして出るほど多量な実は今日日本では稔らない。それは畢竟その樹を大量に植えないからである。しかしこの栗は通常日本ではなかなかに実の着きが悪いといわれる。
 私の庭にこの支那栗の樹が一、二本ばかり成長を続けている。その一本へ今年初めて花が咲いたが、ついに実がならずにすんだ。その樹の本の方は直径は一方のものは五寸、一方のものは六寸五分あって、この太い方へ花が着いた。この支那栗はその幹の様子、葉の様子も無論大体は似ているが、日本のクリとは異なって嫩い幹は滑かであり、葉の広いものはその幅およそ三寸五分もあり、初めは裏面も緑色だが、後にはそれが白色を呈する。つまり非常に細かい白毛が密布するのである。この私の庭の木は前年市中で生の甘栗を買い来って播種したものである。今日でも大きく成長を続けてはいるが、依然として一向に実が生らない。
 土佐に傍士栗《ボウシグリ》(私はこれを特にボウシアマクリと称える、何となれば別にボウシグリという名があるからだ)というのがつくられている。傍士駒市という人がセレクトした品種で実が大きい、すなわち支那栗の優品で、私はこの学名を Castanea mollissima Blume var. Booshiana Makino, var. nov. (Bur short−padicellate, large, subcompressed−globose, densely prickled, about 9 cm. across; involucre 4−valved, thick, pale−tomentose within; prickles rather stout, with acerose branches, pale−pubescent. Nuts 3−together in each bur, brown, 23−30 mm. long, 25−36 mm. broad, 13−30 mm. thick, very shortly cuspidate at the apex, rounded or truncate−rounded and white adpressed−pubescent towards the top. Seed−coats easily separate from the embryo, which is pale−yellow and sweet in teste. ― 〔Bo_shi−guri〕[#「〔Bo_shi−guri〕」は斜体].) と極めた。この一本が今私の庭に健全に成長している。その栗毬は大形で堅果も大きい。
 支那栗すなわちアマグリは実の渋皮がむけやすく味が甘いのが特徴である。日本のクリとこの支那栗とをかけあわせてその間種をつくってみたら利益があることと思うが、もうどこかでその見本樹が出来ているかも知れない。
 日本のクリはその学名は Castanea crenata Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体]. で、西洋での俗名は Japanese Chestnut である。そしてクリの語原は黒い意味でその実の色から来たもんだ。これは日本の特産で中国にはない。ゆえに中国名の栗の字をもって日本のクリそのものとすることは出来なく、クリはいつまでもクリで、中国の栗の字をもって日本のクリにあてることは正しくない。しかるに従来の学者はそんなイキサツのあることは知らないから、栗の字を日本のクリへ適応して平気でいるが、それは全く勘違いだから、栗の字を日本のクリから絶縁さすべきだ。そして日本のクリ仮名でクリと書きかつそう呼べばそれでよい。
 これに類したことは松の字でも見られる。元来松は中国特産のシナマツを指したもので日本のマツの名ではないから、厳格にいえば日本のマツへ対して書くべき文字ではない。日本のマツには書くべき漢名は一つもないから、マツはマツで押し通すよりほかに途はない。また黒松といい赤松というのもじつはシナマツの一品であって、日本のクロマツ、アカマツへ適用すべき漢名ではない。日本のマツは一切中国にないから従って中国名がないのが当たりまえだ。

  アスナロノヒジキ

 アスナロとはアスナロウで明日《アス》ヒノキになろうといって成りかけてみたが、ついに成りおうせなかったといわれる常緑針葉樹だ。相州の箱根山や、野州の日光山へ行けば多く見られる。この樹はマツ科に属し Thujopsis dolabrata Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体]. の学名を有するが、もとの学名は Thuja dolabrata L[#「L」は斜体]. fil[#「fil」は斜体]. であった。そしてこの種名の dolabrata は斧状の意で、それは斧の形をして枝に着いているその葉の形状に基づいたものだ。
 この樹の枝にはアスナロノヒジキと呼んで、一種異様な寄生菌類の一種が着いて生活していて、その学名を Caeoma deformans Tubeuf[#「Tubeuf」は斜体] と称するが、その最初の学名は Uromyces deformans Berk[#「Berk」は斜体]. et Ber[#「et Ber」は斜体]. であった。また白井光太郎《しらいみつたろう》博士は Caeoma Asunaro Shirai[#「Shirai」は斜体] の学名を設けたがこれは不用になった。すなわちこの種名の deformans は畸形あるいは不恰好というような意味で、それはその菌体の形貌に基づいたものである。そしてそれをアスナロノヒジキと呼んだが、しかしヒジキの名はあっても海藻のヒジキのように食用になるものではなく、単にその姿をヒジキに擬ぞらえたものに過ぎないのである。
 さてこの寄生菌そのものが初めて書物に書いてあるのは岩崎灌園《いわさきかんえん》の『本草図譜《ほんぞうずふ》』であろう。すなわちその書の巻九十にアスナロウノヤドリギとしてその図が出ている。けれどもその産地が記入してない。が、しかしそれは多分野州日光山かあるいは相州箱根山かの品を描写したものではないかと想像せられる。
 明治の年になって東京大学理科大学植物学教室の大久保三郎君(大久保一翁氏の庶子でかつて英国へ遊学し、帰朝して矢田部良吉《やたべりょうきち》教授の下で助教授を勤めていた穏やかな人だったが
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