^《めいいべつろく》』には「※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草………九月十月ニ採リ以テ染メ黄金ヲ作《ナ》スベシ」とあり、唐の蘇恭《そきょう》がいうには「荊襄《けいじょう》ノ人煮テ以テ黄色ヲ染ム、極メテ鮮好ナリ」(共に漢文)とある。しかし日本人は恐らくこのチョウセンガリヤスを染料として黄色を染めた経験は誰もまだもってはいまい。
 日本の学者は古くから※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草をカイナのコブナグサにあて、コブナグサを※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草だと信じ切っているが、それは大間違いで※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草は前記の如くけっしてコブナグサではない。学者はそう誤認し、中国では上のように※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草が黄色を染める染料になるので、そこで日本で※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草と思いつめていたコブナグサが染め草となったものであろう。すなわち名の誤認から物の誤認が生じた訳で、つまり瓢箪から駒が出たのである。染料植物でないものが染料植物に化けたのである。が、これはそうなっても別にそこに大した不都合はない。なぜなら禾本諸草はたいてい乾かしておいて煮出せば黄色い汁が出て黄色染料になろうからである。
 前に還っていうが、日本の本草学者は王孫をツクバネソウとしている。しかしこの王孫は断じてツクバネソウそのものではない。そしてこのツクバネソウは日本の特産植物で、中国にはないからもとより漢名はない。

  万葉歌のナワノリ

 ナワノリ(縄ノリ)と呼ばれる海藻が『万葉集』巻十一と巻十五との歌にある。すなわちその巻十一の歌は「うなばらのおきつなはのりうちなびき、こころもしぬにおもほゆるかも」(海原之奥津縄乗打靡、心裳四怒爾所思鴨)である。そしてその巻十五の歌は「わたつみのおきつなはのりくるときと、いもがまつらむつきはへにつつ」(和多都美能於伎都奈波能里久流等伎登、伊毛我麻都良牟月者倍爾都追)である。
 橘千蔭《たちばなちかげ》の『万葉集|略解《りゃくげ》』に「なはのりは今長のりといふ有それか」とあるが、このナガノリという海藻は果たして何を指しているのか私には解らない。そして今私の新たに考えるところでは、このナワノリというのは蓋し褐藻類ツルモ科のツルモすなわち Chorda Filum Lamour[#「Lamour」は斜体]. を指していっているのであろうと信じている。
 このツルモという海藻は、世界で広く分布しているが、我が日本では南は九州から北は北海道にいたり、太平洋および日本海の両海岸で波の静かな湾内に生じ、その体は単一で痩せ長い円柱形をなし、その表面がぬるついており、砂あるいはやや泥質の海底に立って長さは三尺から一丈二尺ほどもあり、太さはおよそ一分弱から一分半余りもあって、粗大な糸の状を呈し、上部は漸次に細ってついに長く尖っている。地方によってはこれを食用に供している。そして体が極く細長いので、これを縄ノリとすれば最もよく適当している。このように他の海藻にくらべて特に痩せ長い形をしているので、海辺に住んでいた万葉人はよくこれを知っていたのであろう。ゆえに上のような歌にも詠み込まれたものだと察せられる。このように長い海藻でないとこの歌にはしっくりあわない。

  蓬とヨモギ

 源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』に蓬を与毛木(ヨモギ)としてあるのがそもそもの間違いで、それ以来今もって今日にいたるもなお人々がヨモギを蓬と書いて怪まないが、私はなんら怪まずにかく人々の頭を怪まずにはいられない。古えよりとんでもない間違いをしてくれたもんだ。
 ヨモギ(Artemisia vulgaris L[#「L」は斜体]. var. indica Maxim[#「Maxim」は斜体].)は艾《ガイ》と書くのが本当だ。元来これはモグサ(燃え草の省略せられたもので、横文字でも Moxa と書くのは面白い)に製する草であるが、今は多くヨモギの姉妹品であるヤマヨモギ(Artemisia vulgaris L[#「L」は斜体]. var. vulgatissima Bess[#「Bess」は斜体].)を用いている。これは形が普通のヨモギよりも大きく、日本中部から以北の山地には最も分量多く普通に生じているものだ。葉も大きいからモグサに製するのに量があってよろしい。モグサには葉の裏の綿毛が役立つ。
 またヨモギは誰もが知っている通り春の嫩葉《わかば》を採って餅へ搗きこみ、ヨモギ餅をこしらえる。色が緑でかつ香いがあってよい。そこで普通にこれをモチクサととなえる。
 蓬をヨモギとするのは前述の通り誤りだが、またこれをムカシヨモギ一名ヤナギヨモギ一名ウタヨモギと称する小野蘭山《おのらんざん》の誤りも、ますますその間違いを深めその間を混乱さすものだ。蓬は元来我が日本には絶対にない草であるから、もとより日本名のあろうはずはない。
 では蓬とは何んだ。蓬とはアガサ科のハハキギ(ホウキギ)すなわち地膚《ジフ》のような植物で、必ずしも単に一種とのみに限られたものではなく、そしてそれが蒙古辺の砂漠地方に熾《さか》んに繁茂していて、秋が深けて冬が近づくと、その草が老いて漸次に枯槁し、いわゆる朔北の風に吹かれて根が抜け、その植物の繁多な枝が撓み抱え込んで円くなり、それへ吹き当てる風のために転々としてあたかも車のように広い砂漠原を転がり飛び行くのである。そこでこれを転蓬《テンホウ》とも飛蓬《ヒホウ》ともいっている。すなわち蓬の正体はまさにかくの如きものである。
 明の李時珍《りじちん》という学者が、その著『本草綱目《ほんぞうこうもく》』蓬草子の条下でいうには「其飛蓬ハ乃チ藜蒿ノ類、末大ニ本小ナリ、風之レヲ抜キ易シ、故ニ飛蓬子ト号ス」とある。また中国の他の書物には「其葉散生シ、末ハ本ヨリ大ナリ、故ニ風ニ遇テ輙《タチマ》チ抜ケテ旋グル」とも、また「秋蓬ハ根本ニ悪シク枝葉ニ美シ、秋風一タビ起レバ根且ツ抜ク」とも、また「蓬|善《ヨ》ク転旋シ、直達スル者ニ非ザルナリ」とも、また「飛蓬ハ飄風ニ遇テ行ク、蓋シ蓬ニハ利転ノ象アリ、故ニ古ヘハ転蓬ヲ観テ車ヲ為《ツク》ルヲ知ル」とも書いてある。
 もしも蓬に和名がほしければ、あるいはこれをトビグルマ(飛ビ車)、あるいはカゼクルマ(風車)、あるいはクルマグサ(車草)とでもいってみるかな。そうすると飛蓬、転蓬の意味にもかなう訳だ。
 右にて蓬の蓬たるゆえんを知るべきだ。皆の衆聴けよ、この蓬がヨモギだトヨ、我国の学者はトンデモない見当違いをしたもんだ。眼界狭隘しかたもない。しかし大きなことは言わない、お里が分る、実《じつ》の吾らの知識も罌粟粒《けしつぶ》のようなもんだから。

  於多福グルミ

 クルミすなわち胡桃の一種にオタフクグルミと呼ぶ於多福面(スコブル愛嬌のある福相の仮面《めん》)の形をしたものがあって、一つに姫グルミともいわれる。こちらからいえば於多福どん、クルリと回ってあちらからいえば御姫様、と醜美を一実中に兼ね備えているから面白い。
 オタフクグルミの樹は普通のオニグルミの樹とともに同所にまじって見られる。あるいは所によればオニグルミの樹の多い場合もある。これらの樹は多く流れに沿うた地に好んで生活し、山の脊などには生えていない。
 オタフクグルミ一名ヒメグルミ一名メグルミはオニグルミの一変種で、けっして別種のものではない。つまりオニグルミの変わり品である。このオタフクグルミの学名として、初めはマキシモイッチ氏によって名づけられた Juglans cordiformis Maxim[#「Maxim」は斜体]. が発表せられたが、これはただその核だけを見てつくった名であった。
 私は信ずるところがあって、これをオニグルミの一変種としてその学名を Juglans Sieboldiana Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. cordiformis(Maxim[#「Maxim」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] と改訂し変更した。アメリカでヒメグルミ(オタフクグルミ)の苗を沢山つくってみた人があったが、それが少しもオニグルミの苗と変わりなく一向にその区別が出来なかったので、アメリカの学者は私の意見に同意を表している。かの L. H. Bailey 氏の書物でもまた A. Rehder 氏の書物でもみなオタフクグルミすなわちヒメグルミを Juglans Sieboldiana Maxim[#「Maxim」は斜体]. var. cordiformis Makino[#「Makino」は斜体] と書いてこれを採用している。
 このオタフクグルミ(ヒメグルミ)の核果の核はその形状すなわち姿に種々な変化があって大小、広狭、厚薄はもとよりのこと、一方に大いに張り出したオタフク形のものがあるかと思うと、一方にはもっと痩せ形のものもある。また面に溝のあるもの溝のないものもある。また末端の尖りも低いもの、高いものがあってけっして一様ではない。またまれに縫線が三条あって三稜形(Trigona)のもの、縫線が四条あって四稜形(Tetragona)のものもある。またオニグルミとヒメグルミの間の子と思われるものもある。
 オニグルミ(Juglans Sieboldiana Maxim[#「Maxim」は斜体].)にいたってはその大小は無論のこと、その形状もけっして一様でなく、末端の尖りも低いものもあれば、また大いに尖り出て高いものもある。表面の皺もその疎密、浅深が一様でなく、またほとんど皺のないものもあれば多少のものもある。じつに千様万態ほとんど律すべからずで、今その状態によってこれを分類すれば百くらいに区別することはなんでもない。Dode 氏の分類は一向に当てにならなく、またそのしたりに倣《なら》う学者の研究もなんら尊重するには足りない。要するにオニグルミはただ一種すなわち one species である。これは大言壮語ではなく、実際オタフクグルミ、オニグルミを各地から蒐めて検査してみた結論である。要するにクルミは人の顔を見るようなもので、その顔がどんなに違っていても、畢竟それは Homo sapiens L[#「L」は斜体]. 一種のほかには出ないもんだ。
 オニグルミ、ヒメグルミの実の皮は終りまでついに裂けないで樹から落ちるが、テウチグルミ(手打チグルミ)すなわち菓子グルミの果皮は緑色で平滑無毛、頂端から不斉に数片に裂け、その中の裸の核を露出し、この核が果皮を残してまず地に墜ち、しかる後ちにその果皮が枝から離れ落ちるので、オニグルミ、ヒメグルミとは大変にその様子が違っている。このテウチグルミを信州から多く出して来て東京の市中に売っている。
 クルミの核は元来二殻片の合成したもので、その縫合線は密着して隆起した縦畦を呈しているが、ヒメグルミではその隆起の度がすこぶる低く弱いのである。このようにそれが二殻片からなっているから、その花時の柱頭は顕著に二つに岐かれている。けれども中の卵子はただ一個しかないので、したがってその核内の種子はやはり一個あるのみである。種子の皮は薄くて胚に密着し、頭部二岐せる胚は幼芽、幼茎を伴える大なる子葉からなって胚乳欠如し、吾らは油を含めるその子葉を食しているが、それはちょうどクリにおけると同じである。
 クルミの語原は呉果《クルミ》であって、呉は朝鮮語でクルというといわれ、それでクルミになるのである。そしてクルミの漢名は胡桃であるが、それは中国の漢の時代に張騫《ちょうけん》という人が西域から還るときこれを携え来たので、それでそういわれるとのことだ。しかしこの胡桃はオニグルミでもヒメグルミでもなく、それはテウチグルミすなわち Juglans regia L[#「L」は斜体]. var. sinensis C[#「C」は斜体]. DC
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