のものへ Tamarix juniperina Bunge[#「Bunge」は斜体] の名がつけられてある。シーボルトの『フロラ・ヤポニカ』の書にその精図が出ている。私は前に一度これを皐月《サツキ》ギョリュウと名づけたことがあったが、私はその花を当時小石川植物園事務所の西側にあった樹で見た。次いで夏になるとその年の新枝が成長して延びるが、この延びた新枝にまた花が咲く。この場合がすなわち Tamarix[#「Tamarix」は底本では「Tmarix」] chinensis Lour[#「Lour」は斜体]. である。我国の書物では伊藤圭介《いとうけいすけ》、賀来飛霞《かくひか》の『小石川植物園草木図説』第二巻にその図があるのは愉快だ! すなわちこれは日本、殊に小石川植物園に在る樹からの図である。この夏に咲く第二次の花は花体が五月に咲く第一次のものよりも小形である。やはり淡紅色でその花が煙の如くに樹梢に群聚して咲き、繊細軟弱な緑葉と相映じてその観すこぶる淡雅優美である。そして花中には雌雄蕊があって、この花こそ花後に小さい※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1−91−15]果《さくか》を結び、それが熟すると開裂して細毛を伴った種子が飛散することを私も目撃したことが数度ある。次いで秋になってもまた往々花が咲く。それがすむともう秋も深けて花も咲かなくなり、しばらくすると冬が来て木枯らしの風が吹きその葉も黄ばんで細枝と連れ立って落ち去り、樹は紫褐色の枝椏を残して裸となるのである。
井岡冽《いおかれつ》纂述の『毛詩名物質疑《もうしめいぶつしつぎ》』(未刊本)巻之三、※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]の条下に、「※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]通名御柳寛保年中夾竹桃ト同時ニ始テ渡ル甚活シ易シ其葉扁柏ノ如ニシテ細砕柔嫩※[#「梟」の「木」に代えて「衣」、第3水準1−91−74]々トシテ下垂ス夏月穂ヲ出ス淡紅色※[#「くさかんむり/紅」、第4水準2−86−42]草花ノ如シ秋ニ至リ再ビ花サク本邦ニ来ルモノ一年両度花サク唐山[牧野いう、中国を指す]ニハ三度花サクモノモアリ故ニ三春柳ノ名アリ云々」と叙してあって、日本へ来ているギョリュウも一年に二度花の咲くことが書いてあるが、しかし夏から秋にかけては、枝によってその花に前後もあれば遅速もあろうから、眺めようによっては二度にも三度にもなるのである。そして二度咲くものと三度咲くものとあってもそれはもとより同種である。要するにギョリュウは少なくも一樹で二度花が出て、初めの花は去年の枝に咲き、次の花は今年の枝に咲く。ギョリュウを見る人、このイキサツを知つくしていなければギョリュウを談ずる資格はない。
このようにギョリュウは一木にして一年に数度花が咲く特質をもっている。そこで中国では一つに三春柳の名がある。さすがに※[#「木+聖」、第3水準1−86−19]柳の本国であってギョリュウを見る眼が肥えている、かえって学者が顔負けをしている。
中国の書物の『本草綱目』で李時珍が曰うには、「※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]柳《テイリュウ》ハ小幹弱枝、之レヲ挿スニ生ジ易シ、赤皮細葉、糸ノ如ク婀娜トシテ愛スベシ、一年ニ三次花ヲ作ス、花穂長サ三四寸、水紅色ニシテ蓼花ノ色ノ如シ」(漢文)とある。また陳※[#「温」の「皿」に代えて「俣のつくり−口」、第4水準2−78−72]子《ちんこうし》の『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』には「※[#「木+蟶のつくり」、第3水準1−86−19]柳、一名ハ観音柳、一名ハ西河柳、幹甚ダ大ナラズ、赤茎弱枝、葉細クシテ糸縷ノ如ク、婀娜トシテ愛スベシ、一年ニ三次花ヲ作シ、花穂長サ二三寸、其色粉紅、形チ蓼花ノ如シ、故ニ又三春柳ト名ヅク、其花ハ雨ニ遇ヘバ則チ開ク、宜シク之レヲ水辺池畔ニ植ユベシ、若シ天将ニ雨フラントスレバ、先ヅ以テ之レニ応ズ、又雨師ト名ヅク、葉ハ冬ヲ経レバ尽《コトゴト》ク紅ナリ、霜ヲ負テ落チズ、春時扞挿スレバ活シ易シ」(漢文)とある。
万葉歌のイチシ
万葉人の歌、それは『万葉集』巻十一に出ている歌に「みちのべのいちしのはなのいちじろく、ひとみなしりぬあがこひづまは」(路辺壱師花灼然、人皆知我恋※[#「女+麗」、105−10])というのがある。そしてこの歌の中に詠みこまれている壱師ノ花とあるイチシとは一体全体どんな植物なのか。古来誰もその真物を言い当てたとの証拠もなく、徒らにあれやこれやと想像するばかりである。なぜなれば、現代では最早そのイチシの名が廃たれて疾くにこの世から消え去っているから、今その実物が掴めないのである。ゆえにいろいろの学者が単に想像を逞しくして暗中模索をやっているにすぎない。
甲の人はそれはシであるギシギシ(羊蹄)だといっている。乙の人はそれはメハジキのヤクモソウ(※[#「くさかんむり/充」、第3水準1−90−80]蔚《ジュウイ》すなわち益母草)だといっている。丙の人はそれはイチゴの類だといっている。 丁の人はクサイチゴだといっている。戌の人はそれはエゴノキだといっている。そして一向に首肯すべきその結論に到着していない。
そこで私もこの植物について一考してみた。初めもしやそれは諸方に多いケシ科のタケニグサすなわちチャンパギク(博落廻)ではないだろうかと想像してみた。この草は丈高く大形で、夏に草原、山原、路傍、圃地の囲回り、山路の左右などに多く生えて茂り、その茎の梢に高く抽んでている大形の花穂そのものは密に白色の細花を綴って立っており、その姿は遠目にさえも著しく見えるものである。だが私はそれよりも、もっともっとよいものを見つけて、ハッ! これだなと手を打った。すなわちそれはマンジュシャゲ(曼珠沙華の意)、一名ヒガンバナ(彼岸花の意)で、学名を Lycoris radiata Herb[#「Herb」は斜体]. と呼び、漢名を石蒜《セキサン》といい、ヒガンバナ科(マンジュシャゲ科)に属するいわゆる球根植物で襲重鱗茎《しゅうじゅうりんけい》(Tunicated Bulb)を地中深く有するものである。
さてこのヒガンバナが花咲く深秋の季節に、野辺、山辺、路の辺、河の畔りの土堤、山畑の縁などを見渡すと、いたるところに群集し、高く茎を立て並びアノ赫灼《かくしゃく》たる真紅の花を咲かせて、そこかしこを装飾している光景は、誰の眼にも気がつかぬはずがない。そしてその群をなして咲き誇っているところ、まるで火事でも起こったようだ。だからこの草には狐《キツネ》ノタイマツ、火焔《カエン》ソウ、野ダイマツなどの名がある。すなわちこの草の花ならその歌中にある「灼然《いちじろく》」の語もよく利くのである。また「人皆知りぬ」も適切な言葉であると受け取れる。ゆえに私は、この万葉歌の壱師すなわちイチシは多分疑いもなくこのヒガンバナすなわちマンジュシャゲの古名であったろうときめている。が、ただし現在何十もあるヒガンバナの諸国方言中にイチシに彷彿たる名が見つからぬのが残念である。どこからか出て来い、イチシの方言!
万葉歌のツチハリ
万葉歌のツチハリ、それは『万葉集』巻七に「わがやどにおふるつちはりこころよも、おもはぬひとのきぬにすらゆな」(吾屋前爾生土針従心毛、不想人之衣爾須良由奈)という歌があって、このツチハリの名が一つの問題をなげかけている。
このツチハリ(土針)は、人がなんと言おうとも、または古書になんとあろうとも、それはけっして古人が王孫(『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』には「王孫、和名沼波利久佐(ヌハリグサ)……豆知波利(ツチハリ)」と書いてある)にあてているツクバネソウではけっしてない。
このツクバネソウは深山に生じているユリ科の小さい毒草で Paris tetraphylla A. Gray[#「Gray」は斜体] の学名を有し、もとより家の居囲りに見るものでは断じてない。またこの草は絶えて染料になるべきものでもなく、まずは山中の樹下にボツボツと生えているただの一雑草にすぎないのである。
今この歌でみると、そのツチハリは家の近か囲りに生えていて、そしてそれが染料になるものでなければならないはずだ。それでは何であろうか。
私の師友であった碩学の永沼小一郎氏は、ツチハリをゲンゲ(レンゲバナ)だとせられていたが、それにはもとより一理屈はあった。が、しかし私の愚考するところではツチハリに三つの候補者がある。すなわちその一はハギ(萩)の嫩い芽出ちの苗、その二はハンノキ、その三はコブナグサである。そこで私はこのコブナグサこそそのツチハリではなかろうかと信じている。すなわちその禾本科なるこの草は通常家の居囲りの土地に生えていて、その花穂が針のように尖っており、(それで土針というのだと想像する)、そしてその草が染料になるのだから、この万葉歌のツチハリとはシックリと合っているように感ずる。しかしこの事実は古来何人も説破しておらず、この頃私の初めて考えついた新説であるから、これが果たして識者の支持を受け得るか否かは一切自分には判らない。
右のコブナグサであれば、歌の「わがやどに生ふる」にも都合がよく、また「衣《きぬ》にすらゆな」にも都合がよい。
このコブナグサは Arthraxon hispidus(Thunb[#「Thunb」は斜体].)Makino[#「Makino」は斜体] の学名を有し、ホモノ科(禾本科)の一年生禾本で、各地方の随地に生じ土に接して低く繁茂し、前にも書いたように秋に沢山な針状花穂が出て上を指している。細稈に互生した有鞘葉はその葉片幅広く、基部は稈を抱いている特状があるので、容易に他の禾本と見別けがつく。そしてその葉形を小さい鮒に見立てて、それでこの禾本にコブナグサの名があるのである。
古く深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』には、このコブナグサを※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草《ジンソウ》にあててその和名を加伊奈(カイナ)一名阿之為アシヰとしてあり、また源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』には同じく※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草にあててその和名を加木奈(カキナ)[牧野いう、加木奈は蓋し加伊奈の誤ならん]一云阿之井(アシヰ)としてある。コブナグサは京都の名で、江州ではサゝモドキ、播磨、筑前ではカイナグサというとある。貝原益軒の『大和本草《やまとほんぞう》』諸品図の中にカイナ草の図があるが、ただ図ばかりで説はない。またこれにカリヤス(ススキ属のカリヤスと同名)の名もあるように書物に出ている。『本草綱目啓蒙《ほんぞうこうもくけいもう》』には※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草の条下に「此茎葉ヲ煎ジ紙帛ヲ染レバ黄色トナル」と出ている。八丈島でもこれをカリヤスと呼んで染料にすると聞いたことがあった。
我国の本草学者などは中国でいう※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草をコブナグサに充てコブナグサの漢名としてこれを用いているが、これは誤りであって元来※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草とはチョウセンガリヤス(Diplachne serotina Link[#「Link」は斜体]. var. chinensis Maxim[#「Maxim」は斜体].)の漢名である。そしてこの※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草は彼の『詩経』にある「※[#「くさかんむり/碌のつくり」、第4水準2−86−27]竹猗々タリ」の※[#「くさかんむり/碌のつくり」、第4水準2−86−27]竹で、中国には普通に生じ一つに黄草とも呼んでいる。『本草綱目《ほんぞうこうもく》』※[#「くさかんむり/盡」、第3水準1−91−34]草の条下に李時珍のいうには「此草緑色ニシテ黄ヲ染ムベシ、故ニ黄ト曰ヒ緑ト曰フ也」とある。また梁の陶弘景《とうこうけい》註の『名医別
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