フものとすれば誰でも成るほどとうなずくのであろう。そして中国、否、アジア大陸にはこの品はなく、これは日本の特産でありすなわち一つの国粋花でもある。従来の本草学者はこれを『救荒本草《きゅうこうほんぞう》』に出ている藤長苗にあてているが当っていない。そしてこの藤長苗はその葉に底耳片なく茎には細毛ある種で、我がヒルガオとは全然異なっている。Bailey 氏の Manual of Cultivated Plants の書中にある Convolvulus japonicus Thunb[#「Thunb」は斜体]. は日本(中国にもインドにもある)のコヒルガオと中国産の藤長苗(?)とが混説せられているようだ。そして Calystegia pubescens Lindl[#「Lindl」は斜体]. は多分藤長苗の学名であろう。かつまた Convolvulus japonicus Thunb[#「Thunb」は斜体]. はコヒルガオそのものであってヒルガオではない。
ヒルガオには白花品があってこれをシロバナヒルガオと称する。古人の描いた図にも出ているが、私は先年これを紀州高野山で採集した。学名は Calystegia nipponica Makino[#「Makino」は斜体] var. albiflora Makino[#「Makino」は斜体] である。そしてこれを Calystegia subvolubilis Don[#「Don」は斜体] var. albiflora Makino et Nemoto[#「Makino et Nemoto」は斜体] とするのは非で、この C. subvolubilis Don[#「Don」は斜体] は全然日本になく、これは大陸の種である。そして日本のヒルガオは日本の特産で大陸にはなく、したがって中国にも産しない。ゆえにヒルガオには漢名はない。上記の如く旋花、一名鼓子花を昔からヒルガオとしてあるこのいわゆるヒルガオは前述の通りにまさにコヒルガオそのものであり、またあらねばならない。
旋花の意味は、その花の花冠(Corolla)が弁裂せずに完全に合体して、環に端がないように、その縁が遶っているからだといわれる。また鼓子花の意味はその形が軍中で吹く鼓子に似ているからだとのことである。そうするとこの鼓子は、鼓のようにポンポン打つもんではなくて、ブーブーと吹き鳴らす器である。
ハマユウの語原
ハマユウはハマオモトともハマバショウともいうもので、漢名は『広東新語《かんとんしんご》』にある文珠蘭《ブンシュラン》であるといわれる。宿根生の大形常緑草本でヒガンバナ科に属し、Crinum asiaticum L[#「L」は斜体]. var. japonicum Baker[#「Baker」は斜体] の学名を有し、我国暖国の海浜に野生している。葉は多数叢生して開出し、長広な披針形を成し、質厚く緑色で光沢がある。茎は直立して太く短かい円柱形をなし、その葉鞘《ようしょう》が巻き重なって偽茎となっている。八、九月頃の候葉間から緑色の※[#「くさかんむり/亭」、第4水準2−86−48]《てい》を描き高い頂に多くの花が聚って繖形をなし、花は白色で香気を放ち、狭い六花蓋片がある。六|雄蕊《ゆうずい》一子房があってその白色花柱の先端は紅紫色を呈する。花後に円実を結び淡緑色の果皮が開裂すると大きな白い種子がこぼれ出て沙上にころがり、その種皮はコルク質で海水に浮んで彼岸に達するに適している。そしてその達するところで新しく仔苗をつくるのである。
葉の本の茎は本当の茎ではなく、これはその筒状をした葉鞘が前述のように幾重にも巻き襲《かさ》なって直立した茎の形を偽装しており、これを幾枚にも幾枚にも剥がすことが出来、それはちょうど真っ白な厚紙のようである。
『万葉集』巻四に「三熊野之浦乃浜木綿百重成心者雖念直不相鴨《みくまぬのうらのはまゆふももへなすこころはもへとただにあはぬかも》」という柿本人麻呂の歌がある。この歌中の浜木綿《はまゆふ》はすなわちハマオモトである。この歌の中の「百重成」の言葉はじつに千釣の値がある。浜木綿の意を解せんとする者はこれを見のがしてはならない。
貝原益軒の『大和本草』に『仙覚抄《せんがくしょう》』を引いて「浜ユフハ芭蕉ニ似テチイサキ草也茎ノ幾重トモナクカサナリタル也ヘギテ見レバ白クテ紙ナドノヤウニヘダテアルナリ大臣ノ大饗ナドニハ鳥ノ別足ツヽマンレウニ三熊野浦ヨリシテノボラルヽトイヘリ」とある。また『綺語抄《きごしょう》』を引いて「浜ユフハ芭蕉ニ似タル草浜ニ生ル也茎ノ百重アルナリ」ともある。
また月村斎宗碩《げっそんさいそうせき》の『藻塩草《もしおぐさ》』には「浜木綿」の条下の「うらのはまゆふ」と書いた下に
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みくまのにあり此みくまのは志摩国也大臣の大饗の時はしまの国より献ずなる事旧例也是をもつて雉のあしをつゝむ也抑此はまゆふは芭蕉に似たる草のくきのかはのうすくおほくかさなれる也もゝへとよめるも同儀也又これにけさう文を書て人の方へやるに返事せねば其人わろしと也又云これにこひしき人の名をかきて枕の下にをきてぬればかならず夢みる也此みくまのは伊勢と云説もあり何にも紀州はあらず云々
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とある。
浜木綿とは浜に生じているハマオモトの茎の衣を木綿(ユフとは元来は楮すなわちコウゾの皮をもって織った布である。この時代にはまだ綿はなかったから畢竟木綿を織物の名としてその字を借用したものに過ぎないのだということを心に留めておかねばならない。ゆえにユフを木綿と書くのはじつは不穏当である)に擬して、それで浜ユフといったものだ。人によってはその花が白き幣を懸けたようなのでそういうといってるけれど、それは皮相の見で当っていない。本居宣長《もとおりのりなが》の『玉かつま』十二の巻「はまゆふ」の条下に「浜木綿………浜おもとと云ふ物なるべし………七月のころ花咲くを其色白くて垂《タリ》たるが木綿に似たるから浜ゆふとは云ひけるにや」と書いてあるが、「云ひにけるにや」とあってそれを断言してはいないが、花が白くて垂れた木綿に似ているから浜ユフというのだとの説は、疾に人麻呂の歌を熟知しおられるはずの本居先生にも似合わず間違っている。
同じく本居氏の同書『玉かつま』木綿の条下に「いにしへ木綿《ユフ》と云ひし物は穀《カヤ》の木の皮にてそを布に織たりし事古へはあまねく常の事なりしを中むかしよりこなたには紙にのみ造りて布に織ることは絶たりとおぼへたりしに今の世にも阿波ノ国に太布《タフ》といひて穀の木の皮を糸にして織れる布有り色白くいとつよし洗ひてものりをつくることなく洗ふたびごとにいよいよ白くきよらかになるとぞ」と書いて木綿が解説してある[牧野いう、土佐で太布《タフ》というのは麻《アサ》で製した布のものをそう呼んでいた]
小笠原島にオオハマユウというものがある。その形状はハマユウすなわちハマオモトと同様でただ大形になっているだけである。この学名は Crinum gigas Nakai[#「Nakai」は斜体] である。が、私は今これを Crinum asiaticum L[#「L」は斜体]. var. gigas(Nakai[#「Nakai」は斜体])Makino[#「Makino」は斜体](nov. comb.)とするのがよいと信じている。
バショウと芭蕉
中国に甘蕉《カンショウ》というものがある。その実が甘くて食用になるので、甘蕉といわれる。すなわちいわゆるバナナ(Banana でこの語は西インド語の Bonana からである)である。そしてその学名は Musa paradisiaca L[#「L」は斜体]. subsp. sapientum O[#「O」は斜体]. Kuntze[#「Kuntze」は斜体](=Musa sapientum[#「Musa sapientum」は斜体] L.)であるが、この種にはいろいろの変わり品がある。かの矮生の三尺バナナも中国の原産で、それは学名を Musa Cavendishii Lamb[#「Lamb」は斜体]. といわれ、俗には Chinese Banana または Canary Banana(カナリー島に大いに作ってある)と呼ばれている。
芭蕉は上の甘蕉の一名であるから、この芭蕉もまたバナナの中国名である。芭蕉とはその葉の新陳相続いている意味であるといわれる。明の李時珍《りじちん》がその著『本草綱目』に「按ズルニ陸佃《りくでん》ガ※[#「土へん+婢のつくり」、第3水準1−15−49]雅《ひが》ニ云ク、蕉ハ葉ヲ落サズ一葉|舒《ノブ》ルトキハ則チ一葉|蕉《カ》ル、故ニ之レヲ蕉卜謂フ、俗ニ乾物ヲ謂テ巴ト為ス、巴モ亦蕉ノ意ナリ」と書いている。だから芭蕉とはその葉が乾いても落ち去らず、その間次ぎ次ぎに新葉が出る義で、畢竟葉が年中引き続いていつ見ても青々としているの意を表わした名である。甘蕉すなわちバナナの葉状をいったものだ。
また李時珍が曹叔雅《そうしゅくが》の『異物志《いぶつし》』を引き「芭蕉。実ヲ結ブ其皮赤クシテ火ノ如シ[牧野いう、これは花穂の赤い苞をいったものでなければならない]其肉甜クシテ蜜ノ如シ、四五枚ニテ人ヲ飽シムベシ、而シテ滋味常ニ牙歯ノ間ニ在リ、故ニ甘蕉ト名ヅク」とあって、芭蕉と甘蕉とが同じ物であることを明示している。
また李時珍が万震《ばんしん》の『異物志』を引いて「甘蕉ハ即チ芭蕉………蕉子凡ソ三種、未ダ熟セザル時ハ皆苦渋、熟スル時ハ皆甜クシテ脆シ、味葡萄ノ如ク以テ飢ヲ療スベシ」と書いている。
ひろく我国各地に植えてあって普く人も知っているいわゆるバショウ(Musa Basjoo Sieb[#「Sieb」は斜体].)は昔中国から渡来したものだが、しかしそれがいつの時代であったのか今私には不明である。が、しかし一千余年も前にできた深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名《ほんぞうわみょう》』に甘蕉、一名巴蕉を波世乎波(バセヲバ)と書き、源順《みなもとのしたごう》の『倭名類聚鈔《わみょうるいじゅしょう》』にも芭蕉を和名発勢乎波(バセヲバ)と書いてあるところをみると、相当古い昔に来たものであることが推想せられる。つまり一千余年以前に我国に入り来ったこととなる。そして右のバセヲバのバは葉でそれは芭蕉葉の意である。
バショウは元来暖地の産であるから寒い地方には育たないが、日本中部以南の各地には、別に何んの経済的価値もないが、ただ庭園の装飾用として植えてある。大きな花穂を象の花のように垂れてよく花が咲き、花後に子房(下位子房である)が花時よりは太く増大して緑色を呈し、著しい姿で多数相ならび、永く花穂の花軸上に遺っているのを常に見かける。総体 Musa 属[#「属」に「ママ」の注記]すなわちバショウ属の諸種は、花に大量の蜜液が用意せられ、鳥媒花であることを示しているが、元来バショウは我が土産でないから、したがって我が日本に適当な媒鳥がいなく、それで子房が滅多に孕まず結実するにいたるものが少ないのであろう。けれども中には珍らしく結実して、発芽力のある扁平黒色の種子を宿しているものもある。私はかつてこれを伊予と安房の地で見た。この種子を蔵している果実は終りまで緑色で往々多少は微黄色を呈しているが、しかしその外皮内にバナナ様の肉は出来ない。私の『牧野植物学全集』第六巻(昭和十一年発行)へはその結実せる状と種子を有せる果実とその稚苗との写真を口絵として出しておいた。
バショウの高く直立せる円柱状の茎はじつは本当の茎ではなくいわゆる偽茎であって、それは長い葉鞘が重なって出来たものである。かの有名な芭蕉布は琉球に産するイトバショウ(Musa liukiuensis Makino[#「Makino」は斜体])の葉鞘から製した繊維で織るのであるが、常のバショウのバショウ繊維は何にも利用せられていない。茎は短大でほとんど地下茎の状を呈し横
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