いでに記してみるが、『本草綱目啓蒙』防已の条下に「今花戸ニ一種唐種漢防已ト呼ブ者アリ葉形オホツヅラフヂニ似テ薄ク色浅シ蒂モ微シク葉中ニヨル根ハ細ク色黄ニシテ内ニ白穰アリテ車輻解ヲナサズコノ草ハ諸州深山ニモアリ勢州ニテ、コウモリヅタト呼ビ越前ニテ、コツラフヂト云」との文があって、唐種漢防已とコウモリヅタ[牧野いう、コウモリカヅラのこと]とを同種だとしているのは誤りで、この二つは全然別種である。漢防已はけっして我が日本には産しないから右の『啓蒙』の記すところは全く間違っている。この『啓蒙』にはこんな誤謬が書中いたるところに見出さるるのは遺憾である。櫛をつくる材をモチノキ属のイヌツゲだとしているなどは中にもその誤りの大きなものであって、黄楊のツゲすなわちホンツゲが泣いていることが聞えんだろうか。
ゴンズイ
ミツバウツギ科の落葉小喬木にゴンズイという雑木があって山地の林樹にまじって生じ、枝に奇数羽状複葉を対生し一種の臭気を感ずる。秋にその※[#「くさかんむり/朔」、第3水準1−91−15]果《さくか》が二片に開裂するとその内面が赤色で美しく一、二の黒色種子が露われる。『本草綱目啓蒙』によればゴンズイのほかにキッネノチャブクロ、スズメノチャブクロ、ウメボシノキ、ツミクソノキ、ハゼナ、クロハゼ、ダンギナ、ハナナ、ダンギリ、タンギ、クロクサギ、ゴマノキの名がある。所によると、その嫩葉を食用にするのだがあまり美味なものではない。書物によるとゴンズイに権萃の当て字が書いてある。
我国の本草学者はかつてこのゴンズイを中国の樗にあてていたが、それはもとより誤りであって、この樹の本当の漢名は野鴉椿である。しかし以前からこの樹をゴンズイと呼んでいる訳は別にどの書物にも書いてないようだが、それは私の考えるところではそうでないかと思われる。すなわちそれは前にこのゴンズイを樗にあててあって、その樗はいわゆる「樗櫟之材《ちょれきのざい》」で、この材は一向役に立たぬ樹であると評せられている。それでこれを樗であると思いこんだこの植物を役立たぬ樹すなわちゴンズイだと昔の人が名づけたのではなかったろうかと私は想像する。
それでは役立たぬこの樹がどういう意味合いでゴンズイであると唱えられるのかというと、元来このゴンズイとは食料として余り役立たない魚であるので、その役立たぬ魚の名すなわちゴンズイを、役立たぬと思惟せられたこの樹に対して利用したのではないかと考える。そのゴンズイというのはどんな魚かと詮議してみると、それはゴンズイ科に属する小さい海魚で、細長い体は長さ数寸、口に八本の長い髭を具え、体の色は青黒くその両面に各二条の黄色縦線が頭から尾まで通っており、背鰭と胸鰭とに尖き刺があって、もしさされるとひどく疼むから人に嫌われるが、それでも浜の漁民は時に強いて食することがある。こんなに小さくてかつ無用な魚であるから昔から江戸の魚市場へは出さないので、この魚を一つに江戸見ずゴンズイと呼んだもんだ。国によってはまたクグあるいはググの方言もある。しかしゴンズイの語原は全く不明でその意味は判っていない。
辛夷とコブシ、木蘭とモクレン
古来どの学者でも辛夷《シンイ》をコブシであるとして疑わず涼しい顔をしており、また従来どんな学者でも木蘭《モクラン》をモクレンで候《そうろう》としてスマシこんでいるのは笑わせる。
辛夷は中国特産植物専用の中国名すなわち漢名であって、一つに木筆とも称せられる。コブシ(Magnolia Kobus DC[#「DC」は斜体].)は日本の特産で全然中国にはない。中国にない植物に中国名のあろうはずがない。単にこの一事をもってみても我が日本産のコブシが中国植物の辛夷ではあり得ない理屈だ。そして右のように結論するのが理の当然で、これで古来永くズルズルと来ていたこの問題は潔よく解決した。そしてコブシはコブシであってけっしてこれを辛夷とは書くべからずだ。
モクレン(Magnolia liliflora Desr[#「Desr」は斜体].)は昔中国から渡り来った落葉灌木性の庭園花木である。そしてこのモクレンの和名がもとは木蘭かあるいはその一名の木蓮から来たものであるとしても、それは無論名実を誤ったもので、中国の本当の木蘭そのものはけっしてこんな落葉灌木ではなく、この落葉灌木のモクレンこそこれが真の辛夷である。故にモクレンの漢名はまさに辛夷と書くべきであって、断じて木蘭と書くべきではないのである。繰り返していえばモクレンは辛夷、辛夷はモクレンであると心得るべきだ。
従来日本の諸学者が辛夷をモクレンだと気づかなかった迂濶さにはじつに驚くのほかはない。例えば『秘伝花鏡』『八種画譜』の図を見ただけでもそれが直ぐに判かるのではないか。
それでは木蘭とは
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