ズ、今正月元日及ビ冠婚規祝ノ具之レヲ用テ以テ物ニ克ツノ義ニ取ル、古ヘハ丹波但馬ヨリ主計寮ニ献ズ、近代ハ江東ニ多ク之レヲ造ル、京師海西ニ伝送シ最モ美ト称ス、今丹但ノ産甚ダ少クシテ好カラザル也、一種打栗ト云フ者アリ、好搗栗ヲ用テ蒸熟シ布ニ裹ミ鉄杵ヲ以テ徐徐ニ之レヲ打テ平団ナラシメ、而シテ青栢葉ニ盛テ以テ珍ト為ス、此レ本朝式ニ所謂平栗子耶或ハ曰ク搗栗ハ脾胃ヲ厚クシ腎気ヲ滋スノ功最モ生栗ニ勝レリ、好デ食スベシト、此モ亦理アルニ似タリ」
右『本朝食鑑』よりずっと後に出版せられた『倭漢三才図会』によれば、「老《ヒネ》タル栗ヲ用ヰ殻ヲ連ネテ晒乾シ稍皺バミタル時臼ニ搗《ツ》キテ殻及シブ皮ヲ去レバ則チ内黄白色ニシテ堅ク味甜ク美ナリ或ハ熱湯ニ浸シ及ビ灰ニ※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]シテ軟キヲ待テ食フモ亦佳シ或ハ食フ時一二顆ヲ用テ掌ニ握リ稍温ムレバ則チ柔ク乾果ノ珍物ト為ス也以テ嘉祝ノ果ト為スハ蓋シ勝軍利《カチクリ》ノ義ニ取リ武家特ニ之レヲ重ンズ」(漢文)と書いてあるが、これは主として前の『本朝食鑑』によって書いたものである。
ここに珍らしいクリにハコグリ(箱グリの意)というのがあって、まれに見受けられる。『本草綱目啓蒙』栗の条下に「江州ニ一毬ニ七顆アルアリ、ハコグリト云毬ノ形四稜ニシテ闊シ」と書いてある。岩崎灌園《いわさきかんえん》の『本草図譜《ほんぞうずふ》』巻之五十九にそれが出ているが、その図は良好であるとはいえない。江戸で六角トウというと書いてあるが、これはどうも灌園がその図によってよい加減に拵えた名であると私は感ずる。
このハコグリが今東京都練馬区東大泉町五百五十七番地なる私宅の庭に育っている。これは藪を切り開いてこの宅地を設けるとき、偶然その樹を藪中に発見したので、これは珍らしいと保存したものである。その毬彙《イガ》はシバクリ式で小さく、まだ熟せぬ前からそれが開裂してまだ緑色の堅果を露出している。堅果は小形で中央に三顆一列に相並び、その左側に二顆、右側に二顆、都合七顆が相接して箱の中、いや毬彙内に詰っている。まれに八顆あることもある。熟すと無論栗色を呈する。その学名は Castanea crenata Sieb[#「Sieb」は斜体]. et Zucc[#「et Zucc」は斜体]. var. pleiocarpa Makino[#「Makino」は斜体] である。
朝鮮のワングルとカンエンガヤツリ
カヤツリグサ科の中にカンエンガヤツリ(灌園蚊屋釣の意)という緑色一年生の大きなカヤツリグサ一種があって Cyperus Iwasakii Makino[#「Makino」は斜体] の学名を有する。これは岩崎灌園の著『本草図譜』巻之七にその図が出て、灌園はそれを「水莎草《すいしょうそう》(救荒本草 磚子苗注)水生のかやつりぐさなり苗葉三稜に似て陸生[牧野いう、陸生の意味分らぬ]より長大なり高さ三四尺武州不忍の池に多し」と書いている。ただしこれを単に名のみしか書いてない右『救荒本草』の水莎草にあてるのはじつによい加減な想像で、なんら信拠するに足らないものである。しかしそれはそれとして、とにかく灌園が初めてこの図を公にした功を称え、先きに上の記念学名を発表したゆえんである。
このカンエンガヤツリは元来日本の植物ではなく、それは南鮮方面の原産である。同国ではこれを莞草《カンチョウ》、すなわちワングルまたはワンコル(Wangkul)と称え、人によってはタタミガヤツリの名をつくっている。これ筵席を織って経済的に利用している著明な草本で、京畿の江華、全南の宝城、慶北の金泉、軍威等はその名産地だといわれる。そして日本人間では右の筵席を一般に江華筵として知られていると村田|懋麿《しげまろ》氏の『土名対照鮮満植物字彙』(昭和七年1932発行)に出ている。同書ならびに大正十一年(1922)に朝鮮総督府学務局で発行になった森為三氏の『朝鮮植物名彙』にその学名をば Cyperus exaltatus Retz[#「Retz」は斜体]. としてあるが、それは確かに間違っている。
日本、殊に東京付近では、折りにふれて時々このカンエンガヤツリが臨時に繁殖する面白い現象があることに留意すべきだ。すなわちそれは或るしばしの年間は繁殖していても、間もなくそこにそれが絶え、さらにまた突然と生えて繁茂している。そしてその繁殖場所はこれが水生植物であるがゆえに、いつも水の区で、すなわち池、濠あるいは河沿いの溜水池である。東京上野公園下の不忍池では往時から幾度もその繁殖の消長を繰り返している。上の灌園の文にも不忍池に生じていたことがあり、私も明治二十何年かに大いにそれが繁殖してヌマガヤツリ(Cyperus glomeratus L[#「L」は斜体].)と
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