共に生えていて松田定久君と共に心ゆくまで採集したことがあったが、その時たまたまこれらの莎草科品の大当り年であった。その後同池ではあるいは生えあるいは消えその消長は常なかったが、大正十五年(1926)の秋にもまた大いに繁殖した。それを今は故人となった緒方|正資《まさすけ》君が、その年十一月発行の『植物研究雑誌』第三巻第十一号に「エヂプトノパピルスヲ想起セシムルくわんゑんがやつり」と題して写真入りで報じ「今年[大正十五年]東京上野公園下ノ不忍池ニ発生シタ灌園《クワンヱン》がやつりノ大群落ニ出会タ人ハ誰レカ歎声ヲ放タザルモノアリヤト問ヒタイ、蓋シ本年ハ不忍池ノ水ヲ乾カシタノデ池ノ中央部ノ方ガ浅クナツタ為メカ例年ハ池畔ニ僅ニ其形骸ヲ現ハスニ過ギザリシ此大莎草ガ池ノ真中ノ方マデ突進シテ蓮ノ中間ニ列ヲナシテ発生シテ居ルノハ実ニ偉観タルヲ失ハナイ、一体此灌園がやつりナルモノハ吾国ニ矢鱈ニ見付カルモノデハナイ現ニ不忍池ノモノモ年ニヨリテ隆替《リュウタイ》シ殆ンド其形ヲ認メザル年スラアル、而シテ朝鮮ニハ本植物(即チ莞草)ガ繁生シ此偉大(三乃至四尺)ナル茎ヲ以テ席ヲ織ルソウダ、ソコデ牧野先生ハ本植物ハ元来吾国ニハナク遠ク渡リ来ル水鳥ガ時々朝鮮辺カラ其実(極メテ砕小ナ大キサノモノデアル)ヲ持ツテ来ルノデハアルマイカト云フ想像説ヲサヘ吐カレツヽアル」と述べてある。
 また明治二十何年頃、東京麹町区三番町沿いの御濠にも一叢《ひとむら》大いに繁殖していたことがあって喜んで採集したが、その丈けはおよそ五尺ほどにも成長していた。また同じく明治二十年頃小岩村江戸川寄りの水沢地でも出会った。
 右のように本品はその生育場所に永続性がなく、そこに生えていたかと思うとその翌年は見られなくなるまぼろしガヤツリである。元来は一年生植物(annual)だが、それがあたかも多年生本(perennial)の如く意外に大形にかつ強壮に成長する。したがって果穂も大きく繁く、その小穂(spiculae)もじつに無数に出来ているから非常におびただしい実が稔る訳である。それゆえそれが豊産の翌年にはその場所の辺には大繁殖を見ねばならん理屈だ。が、しかしそううまくゆくこともあるにはあるが、また何かの原因でそうゆかないこともあるらしい。とにかくこのカヤツリ草は日本の土地に腰が据らないのが事実で、どうも縁がない。つまり居心地が悪く、ゆえにチョット一時寄留するに過ぎない草のようである。
 私の考えるところでは、何がその実を日本へ持って来るのかというと、風か、否な、それは疑いもなく水禽《ミズドリ》であろう。何んの水禽か。私は鳥類には全くの素人であるから分らんが、多分雁か、鴨などのような渡り鳥が秋の末にこのカヤツリ草の繁茂している朝鮮などの田甫で食物を漁さるとき、泥にまじったこの草の細かいその実すなわち種子様小堅果を偶然に脚へ着けるか、あるいは羽の間へはいったのをそのまま日本へ飛んできて、この地で新たに食物を求め捜がすとき、自然それを池などへ落すのである。そしてこの事実が始終繰り返されているのである。
 以上書いた事実は、従来まだ誰もが説破しなかったものであった。
 ついでに書いてみるが、上の岩崎灌園の『本草図譜』巻之七にはカヤツリグサ科植物が十一種載っている。先に大沼宏平君がその学名を校訂して刊行の『図譜』に書いているが、誤謬があるから今ここに右大沼君の校訂をさらに校訂してみよう。

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荊三稜《けいさんりょう》 みくり(和名鈔) ←(大沼是)
おほかやつり ←(大沼是)
莎草香付子《しょうそうこうぶし》 はますげ(本草和名) ←(大沼是)
一種 水莎草(救荒本草 磚子苗注) ←(大沼非、これはカンエンガヤツリだ)
一種 かやつりぐさ ←(大沼是)
一種 陸生云々 ←(大沼非、これはヒナガヤツリだ)
一種 苗葉云々 ←(大沼非、これはヌマガヤツリだ)
一種 水辺に生じ云々 ←(大沼非、これはタマガヤツリだ)
一種 苗小云々 ←(大沼非、これはアオガヤツリだ)
一種 かうげん ←(大沼是)
一種 苗小くして云々 ←(大沼是)
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 本書の植物につき大沼君の学名校訂には随分と間違いがある。この書をひもとく人は心すべきだ。

  無憂花

 無憂花と呼ぶ植物がある。この無憂花の名は無論仏教関係の方々には先刻御承知のはずだが、一般の人々には不慣な名であるので、したがってそれが何物であるのか、よく分らないでいることが多いと思う。しかしかの九条武子さんの著書の『無憂華』で世人は大分その無憂華の名を記憶したのだろう。
 この無憂花は無憂華とも無憂華樹《ムユウゲジュ》とも無憂樹とも称する有名なインドの花木であるが、またそれがマラッカならびにマレー諸島にも産する。マメ科の
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