る片葉の葦は別に何物でもなく、ただ普通のアシそのものであることをここに公言する。そしてそれは単にその葉が一方から吹き来る風のイタズラで一方を指しているにすぎなく、畢竟この風さえなければ片葉ノ葦は出来っこがない。すなわちその葉が風に吹かれるとその風が葉面に当たってその葉を一方に押しやる。そうするとその長い葉鞘が綟《よ》れてこの葉がこんな姿勢をとるのである。風が東から来ればその葉は揃って西を指し、風が北から来れば同じくその葉は一様に南を指す。葉鞘が拗《ねじ》れるので直ぐには原位に復せずそのままになっている。ゆえにアシのあるところはいつでもどこでもこの片葉のアシが出現して何にも珍らしいことではない。単にこれが自然に出来るばかりでなく、いつでも人の手によってもそれをこしらえ得るのはやすやすたることである。
『紀伊国名所図会《きいのくにめいしょずえ》』二之巻海部郡の部(文化八年発行)に「片葉《かたは》の蘆《あし》 和歌津《わかつ》や村の北の入ぐちにあり是また蘆戸《あしべ》の遺跡也すべて川辺のあしは流につれて自然と片葉となるものあり又其性を受て芽いづるより片葉蘆と生ずるものもあらん此地もいにしへは入江あるひは流水のところにて其性をつたへて今に片葉に生ずるか風土の一奇事と云べしつのくに鵜殿《うどの》のあしと同品なり」と書いてある。そしてその片葉となるのは一方へ一方へと流れる水の性を受けて生ずるように考え違いをしている。
『摂津名所図会《せっつめいしょずえ》』巻之四には「片葉蘆《かたはのあし》 按ずるに都《すべ》て難波は川々多し淀川其中の首たり其岸に蘆|生繁《おいしげり》て両葉《もろは》に出たるも水の流れ早きにより随ふてみな片葉《かたは》の如く昼夜たへず動く終に其性を継て跡より生《おい》出るもの片葉の蘆多し故に水辺ならざる所にもあり難波《なには》に際《かぎら》ず八幡淀伏見宇治《やはたよどふしみうぢ》等にも片葉蘆多し或人《あるひと》云《いはく》難波は常に西風烈しきにより蘆の葉東へ吹靡きて片葉なる物多しといふは辟案なり」と記してあるが、この辟案[牧野いう、辟は僻と同義]だといっている方がかえって辟案で、風のために片葉の蘆が出来るというのがかえって正説である。
 宝永四年(1707)出版の『伊勢参宮按内記《いせさんぐうあんないき》』巻之下には「浜荻《はまおぎ》(三津村の南の江にあり) 片葉の芦《あし》の常の芦にはかはりたる芦なり是を浜荻といへり此辺り田にすかれて今はすこしばかりの浜荻田間にのこれり」とある。
 宝永六年(1709)発行の貝原益軒《かいばらえきけん》の『大和本草《やまとほんぞう》』付録巻之一に「伊勢ノ浜荻《はまおぎ》ハ三津村ノ南ノ後ロニアリ片葉ノ芦《アシ》ニシテ常ノ芦ニカハレリ」と記してある。
『神都名勝誌《しんとめいしょうし》』巻之五には「浜荻《はまをぎ》 天狗石の南壱町許、道の右にあり。土俗、片葉の芦と云ふ。四方に、石畳を築けり」と記しかつ片葉に描いた浜荻の図が出ている。また同書には「往古は此の辺、三津港よりの入江にて、総べて、芦荻の洲なりきといふ。近世、堤防を設けて、潮水を塞ぎ、数町の田圃を開懇せり。而して、浜荻の芦地を存せむとて、僅に、数坪の所に、蘆荻を植ゑたり」とも述べてあるが、この末句の「植ゑたり」とは穏やかでなく、これはよろしく「残せり」とすべきであろう。
『伊勢参宮名所図会《いせさんぐうめいしょずえ》』巻之五には「浜荻《はまをぎ》三ツ村の左の方に古跡あり里人の云|片葉《かたは》にて常にかわりけるを此辺にては浜荻といふとて今は僅ばかり田の中に残れるを云或云是れ大に誤れり此国の人のみ芦をさして浜荻といへるは古き諺にて即国の方言なれば伊勢の浜辺に生《おい》たる芦は残らず浜荻と云べし古跡と云はあるべからず此歌に明らかなり
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筑波集連歌
   物の名も所によりてかわりけり 難波の芦はいせのはま荻   救済法師
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又按ずるに芦を荻といふ事至て上古にはいづくにもいひし事也此国にかぎらず詩作などには蘆荻《ろてき》とつゞけて一物也其余証拠略之
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万葉
   神風や伊勢の浜荻折ふせて旅寝やすらん荒き浜辺に   読人不知」
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と書いてある。
 私は先年この三津《みつ》の地に行って、今そこの名所田間に少しばかり残してあるいわゆる浜荻を親しく見たことがあったが、この地点は石を畳んで平たくしその周辺およそ一畝歩ばかりの田には浜荻が生活している。ここはこの村の農某の持地であるが、昔からの浜荻のある名所というので持主は特にこの地点へは鍬も入れず稲も作らず、経済的に損をしてまでも遺しているのはまことに殊勝な心がけである。
 右地に繁茂しているいわゆる浜荻は、なん
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