た我国で一番古い辞書の『新撰字鏡《しんせんじきょう》』(僧|昌住《しょうじゅう》の著)にはまだこれをフジとはしていなくて、それを※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]としてある。これは中国の書物の『説文《せつもん》』に従ったものであろう。※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9](音ルイ)とはツルすなわちカヅラのことで、それは藤の字の本義である。したがって藤はカヅラである。『玉篇《ぎょくへん》』には「※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]ハ藤也」とあり、また「藤ハ※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]也、今草に莚シテ※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]ノ如キ者ヲ惣テ呼ブ」とある。また『大広益会玉篇《だいこうえきかいぎょくへん》』にも同じく「※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]ハ藤也」とあり、また「藤ハ艸木ニ蔓生スル者ノ惣名ナリ」ともある。また右の『大広益会玉篇』の和刻本(日本での刻本)には※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]の字のところに「※[#「くさかんむり/儡のつくり」、第4水準2−87−9]ハ藤也」とある右側にフヂカヅラ、左側にクヅフヂの訓が施してある。これは多分今いうフジのカズラ、クズ(葛)のカズラの意でつけたものと想像して可とも思われる。
本来藤はカズラ、すなわちツルのことであるから、今日花を賞するあのフジは藤の一字を用いたのではそのフジすなわち Wisteria(Wistaria)のフジにはならない。紫藤と書いて藤の上に紫の形容詞を加えてはじめてフジになるのだが、じつはこの紫藤は中国産であるシナフジ(Wistaria sinensis Sweet[#「Sweet」は斜体])の名で、今それを日本産のフジに適用することは出来ない。日本にはフジが二種あって、一つはノダフジ(Wistaria floribunda DC[#「DC」は斜体].)、一つはヤマフジ(Wistaria brachybotrys Sieb[#「Sieb」は斜体]. et[#「et」は斜体] Zucc[#「Zucc」は斜体].)で、この二つの品の総称がフジである。そしてこの二種は日本の特産で中国にはないから、したがって中国の名すなわち漢名はない。ゆえに日本のフジを紫藤と書くのは間違っていることを承知していなければならない。
ヤマユリ
関西各地に多いササユリ(Lilium Makinoi Koidz[#「Koidz」は斜体].)にも昔からヤマユリの一名があるが、今日普通に世人のいっているヤマユリは関東地方に多いユリであって、Lilium auratum Lindl[#「Lindl」は斜体]. の学名を有する。花は七、八月頃にひらき大形で香気多く、白色で花蓋片の中央部に黄を帯び紫褐点のあるのが普通品であるが、また紅色を帯ぶるものもある。そしてその色の濃い品を特に紅《ベニ》スジと称して珍重する。
このユリの鱗茎、すなわち俗にいうユリ根は食用によろしい。ゆえに昔から関西各地では特に料理ユリの名がある。またさらに吉野ユリ、宝来寺ユリ、多武《タブ》ノ峰《ミネ》ユリ、叡山ユリの名もある。また浮島ユリとも箱根ユリともいわれる。
徳川時代にはこのユリをヤマユリの名では呼んでいなかったが、後ちこのヤマユリの名が段々東京を中心としてひろがって、普通一般の呼び名になったのは明治以降のことに属する。今日の人々はなにかと言えば直ぐヤマユリを持ち出すけれど、このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである。それ以前は前記の通り料理ユリなどの名で呼んでいたのである。また徳川時代に出版になった『訓蒙図彙《きんもうずい》』や『絵本野山草《えほんのやまぐさ》』などにはオニユリ(巻丹)、ヒメユリ(山丹)、スカシユリ、カノコユリなどはあっても右のヤマユリの図は出ていない。
このヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。
ヤマユリは日本の特産で無論中国にはないから、昔の日本の学者がいうようにこれを天香百合とするのはもとよりあたっていない。
アケビと※[#「くさかんむり/開」、16−11]
人皇五十九代|宇多《うだ》天皇の御宇、それは今から一一〇五年の昔|寛平《かんぴょう》四年(892)に僧|昌住《しょうじゅう》の作った我国開闢以来最初の辞書『新撰字鏡《しんせんじきょう》』に「※[#「くさかんむり/開」、16−13]、開音山女也阿介比又波太豆」と書いてある。昌住坊さんなかなかサバケテいる。
大正六年に東京の
前へ
次へ
全91ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
牧野 富太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング