р=@Reg[#「Reg」は斜体]. でカラカサバナ科に属しペルシャ辺の産である。慈葱は冬季のネギすなわち冬葱でフユネギである。そして茖葱はギョウジャニンニクで山地に自生し葉の広いものである。
そこで問題解決で筆を馳せ云云せにゃあならんことは、小蒜と大蒜との件である。すなわちこの大蒜とはニンニクで一つに葫と呼ばれているものである。そしてこの小蒜は単に蒜と書いてあるものと同じで、それはニンニクに似た別の品種であるが、じつは私はこれの生品を一度も見たことがないのは残念だ。昔の『本草和名』だの、『本草類編』だの、また『倭名類聚鈔』だのにこれを古比留または古比流すなわちコビルといっているのは、何も実物を親しく見ての名ではなく、これは漢名小蒜の二字に基づいた紙上の名であるといってよい。またこれを米比流というのは女ビルか雌ビルかの意で小蒜から思いついた同じく紙上の名である。そしてこの小蒜はもとは野生のものを栽培して出来たように書いてある。だからそれに沢蒜だの山蒜だのの名があっても、今はこの小蒜は野生の品とは異なったものであると中国の昔の学者は弁じているが、按ずるにこれはいつか中国へはいった外国産であろうと思う。とにかく小蒜は中国で栽培せられている一種のニンニク式の品で葉を連ねてその根を煮て食うものである。李時珍がその著『本草綱目』の蒜の条下でいうには「家蒜ニ二種アリ、根茎倶ニ小ニシテ弁少ナク辣甚ダシキ者ハ蒜ナリ小蒜ナリ、根茎倶ニ大ニシテ辣多ク辛シテ甘ヲ帯ブル者ハ葫ナリ大蒜ナリ」(漢文)と述べている。また宋の宗※[#「夾」の二つの「人」に変えて「百」、第3水準1−15−74]《そうせき》がその小蒜の形状をいって「小蒜ハ即チ※[#「くさかんむり/鬲」、74−8]《ユウ》ナリ、苗ハ葱針ノ如ク、根白ク、大ナル者ハ烏芋[牧野いう、オオクログワイである、我国の学者がこの烏芋をクログワイといっているのは誤りである]ノ如ク子根[牧野いう、子は苗か]ヲ兼テ煮食フ、之レヲ宅蒜(宅は沢の誤りだといわれる)ト謂フ」(漢文)としてある。
中国では蒜すなわち小蒜は土産品として従来からあったもの、すなわち中国産品であるが、大蒜は漢の時代に西域の胡国から来たもので葫ともまた胡蒜ともいわれている。かく大蒜が外から中国にはいってきたので、そこで中国で従来からの蒜を小蒜と呼ぶようになった訳だ。愚考するにこの小蒜
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