な繋ぎは入用がないようだが、昔は多分|粳《ウルチ》を用いたろうから自然繋ぎの必要を感じたのであろう。

  ハナタデ

 蓼《タデ》の属にハナタデすなわち花蓼というものが前々からあり、それが岩崎灌園《いわさきかんえん》の『本草図譜《ほんぞうずふ》』巻之十七に出ていて「ハナタデ、道傍に多し形青蓼に似て花淡紅色なり小児アカノマンマ」と呼ぶと書いてある。また水谷豊文《みずのほうぶん》の『物品識名拾遺《ぶつひんしきめいしゅい》』にも「ハナタデイヌタデノ類ニシテ花紅色馬蓼一種」と出ている。すなわちこれはこれらの書物に書いてあるように、東京の女の児などが、アカノマンマ(赤の飯)、あるいは地方の子供などがキツネノオコワ(狐の御強飯)と呼んで遊ぶものである。
 ハナタデとはなぜこれにそんな名を負わせたかというと、その花穂が紅色ですこぶる美観を呈するからである。秋になってそのよく繁茂した株ではその茎枝を分って四方に拡がり、それに多数の花穂が競い出て赤い花が咲いている秋の風情はなかなか捨て難いものである。これにたまたま白花品があって、これがシロバナハナタデと呼ばれる。
 今日我が植物学界ではこのハナタデをイヌタデと呼んでいる。これは飯沼慾斎《いいぬまよくさい》の『草木図説《そうもくずせつ》』に従ったものだ。しかしこのイヌタデの名は元来間違っているから、今これを矯正する必要を認める。そこで私は今後この種から間違っているイヌタデの名を褫奪《ちだつ》して、これを本来の正しい名のハナタデに還元させることに躊躇しない。
 今日いう、ハナタデの名も上の『草木図説』に従ったものだが、これも誤りであるから私は新たにこれをヤブタデと名づけた。その花穂は痩せ花は小さくて貧弱、色は淡紅紫で浅く、けっして花タデの名にふさわしくない。私は以前からこんな花のものがどうして花タデの名であるのかと常にこれを怪しんでいたが、果たせるかな本当のハナタデはこれではなかった。

[#「ハナタデ一名アカノマンマ(誤称イヌタデ)」のキャプション付きの図(fig46820_10.png)入る]
[#「ヤブタデ(誤称ハナタデ)」のキャプション付きの図(fig46820_11.png)入る]

  イヌタデ

 元来|蓼《タデ》はその味の辛いのが本領であって、『秘伝花鏡《ひでんかきょう》』にも「蓼ハ辛草也」とある。すなわちその辛辣な味
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