9−86]アリ其文左ノ如シ。
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三月三日取[#二]嫩艾葉[#一]雑[#(ヘ)][#二]※[#「禾+亢」、第3水準1−89−40]米粉[#(ニ)][#一]蒸為[#(シテ)][#レ]※[#「米+羔」、第3水準1−89−86]謂[#二]之艾※[#「米+羔」、第3水準1−89−86][#一]」
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とある。※[#「米+羔」、第3水準1−89−86]はモチ、※[#「禾+亢」、第3水準1−89−40]は粳と同じウルチネである。
 我国春の七草の内に御行《オギョウ》(五行《ゴギョウ》と書くは非)がある。このオギョウはすなわち鼠麹草のホウコグサである。この時代には食物としてもこれを用いたことが分かる。今日でも千葉県上総、鳥取県因幡のある地方ではこれで草餅をつくることがある。すなわち上総山部郡の土気地方では、十二月から一月にかけて村の婦女子等が連れ立ってホウコグサの苗を田の畦などへ摘みに出でて採り来り、それを充分によく乾燥させる、そしてこの材料を入れて粟餅《あわもち》を製するのだが、その時は粟を蒸籠《せいろう》に入れその上に乾かしておいたホウコグサを載せて搗き込むと粟餅が出来るのである。このホウコグサを入れたものを入れぬものと比べると、入れた方がずっと風味がよい。そしてこの風習が今日なお同地に遺っていると友人石井|勇義《ゆうぎ》君の話であった。しかしこんな習慣は次第になくなる傾向をたどっているようだ。
 昔は旧暦三月三日の雛祭すなわち雛の節句には各家で草餅をこしらえたものだ。しかしホウコグサは葉が小さい上に量も少なく、緑色も淡く別に香気もないから、この草を用いることは次第に廃れゆき、さらに野に沢山生えていて緑の色も深くかつよい香いのするヨモギ(艾《ガイ》である、蓬と書くのは大間違いで蓬はけっしてヨモギではない)がこれに代わって登場したものである。ゆえにこのヨモギを一般の人々はモチクサ(餅草)と呼んで、誰もよく知っている。
 ホウコグサもヨモギも餅にするには元来その葉の綿毛を利用したもので、往時は一つにはこれを餅の繋ぎにしたものだ。今日ヤマボクチ(通常ヤマゴボウと呼び、また所によってはネンネンバと称えている)も葉裏の綿毛を利用して餅に入れ、また所によってはキツネアザミ、ホクチアザミなども用いられる。今日では餅に粘り気の多い糯米を用いるからそん
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