が貴ばれる。そこでこの辛味ある蓼を本蓼《ホンタデ》とも真蓼《マタデ》ともいっている。そしてその辛味のないものを犬蓼《イヌタデ》と称する。すなわち役立たぬ蓼の意である。大槻博士の『大言海』によれば、タデは「爛レノ意ニテ口舌ニ辛キヨリ云フト云フ」と出ている。
 小野蘭山の『本草綱目啓蒙』馬蓼イヌタデの条下に「品類多シ野生シテ辛味ナク食用ニ堪ザル者ヲ皆イヌタデ或ハ河原タデト呼ミナ馬蓼ナリ」とある。これでみるとイヌタデとは一種の蓼の名ではなく、すなわち辛くない蓼の総称である。ゆえにアカノママの一つを特にイヌタデと限定した名で呼ぶのはよろしくない。
 昔にはオオケタデすなわち蓼草をイヌタデといったが、今日は既にこの名は廃絶している。そしてこれは深江輔仁《ふかえのすけひと》の『本草和名』に「和名以奴多天」と出ているから最も古く一千余年も前からの名であることが知られる。
 日本で辛味のある蓼はただ一種ヤナギタデ(アザブタデがじつはヤナギタデで、この蓼は野生はなく圃につくってあって、その葉を料理に用いる)すなわち Polygonum Hydropiper L[#「L」は斜体]. があるだけである。その原種は水辺に野生してこれは敢えて食用に利用せられてはいないが(無論利用は出来る)、これから変わって出た上のアザブタデほかのムラサキタデ、アイタデ、ホソバタデ、イトタデなども多く人家に栽えてあって、同じくその葉が食用に供せられる。
 ヤナギタデが水中に生活するときは往々冬を越して青々としている。彼のカワタデまたはミゾタデと呼ぶものは流れる水底に生きている。『草木図説』巻之七カハタデ一名ミヅタデ(『新訂草木図説』ではミヅタデとなっている)の条下に図を載せ、「山辺清流ノ中ニ生ジ。流ニ従ツテ長ク水底ニ引キ。節々根ヲ下ス。葉ヤナギタデニ似テ長ジテ尖鋭。鞘葉|※[#「竹かんむり/擇」、56−3]《タク》他ノ蓼類ト同ジク。※[#「竹かんむり/擇」、56−3]中枝ヲ出シ簇々《ソウソウ》繁茂シ。四時常ニ衰ヘズ。冬猶青翠芽ヲ出シ。味至テ辛ク可食偶々浅瀬ニアツテ擡起スレバ秋花アリ。家蓼ヨリハ大ニシテ半開白色淡緑暈アリ。蕾ニアツテハ尖ニ淡紅暈ヲミル。二柱六雄蕋ナルコト亦ヤナギタデノ如シ。常ニ水底ニアレバ開花ニ不及。※[#「竹かんむり/擇」、56−6]中ニ於テ直ニ結実スルニ至ル」と書いてある。
 早春、水に湿っ
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