はこの点に尽きている。そしてこの Thea と Camellia との二属は由来離合常なく、あるいは親和しあるいは反目し、学者がこもごも各自の意見を固守していて、ある学者は Thea, Camellia 二属に独立を与え、ある学者は Thea 属[#「属」に「ママ」の注記]を Camellia 属[#「属」に「ママ」の注記]に嫁入らせ、またある学者は Camellia 属[#「属」に「ママ」の注記]を Thea 属[#「属」に「ママ」の注記]の支配下においていたが、今私のこの聚繖花序発見で初めて確定的に世界の学者にその依るところを教えたものであるから、これを大発見と誇唱してもなんの僣越にもなりはしない。気焔万丈、天狗の鼻を高くするゆえんである。呵々。
 茶樹に聚繖花序の出現することは私の発言するまでは誰も知らなかった。かつて私はこの事実を中井猛之進《なかいたけのしん》博士に話したのだが、同博士もこれは初耳であった。

  二十四歳のシーボルト画像

 理学博士|白井光太郎《しらいみつたろう》君の著『日本博物学年表』の口絵に出ているシーボルトの肖像画は、もと私の所有であったが、今からずっと以前明治三十五、六年の時分でもあったろうか、私は白井君のこの如きものの嗜好癖を思い遣ってこれを同君に進呈した。この肖像は彩色を施した全身画で、白井君の記しているように二十四歳で文政九年(1826)東都に来ったときの写生肖像絵で、これは『本草図譜』の著者、灌園岩崎常正《かんえんいわさきつねまさ》の描いたものである。そして私は当時これを本郷区東京大学近くの群庶軒書店から購求したもので、同書店ではこれを岩崎家の遺族から買い入れたものであった。

[#「シーボルト画像 岩崎常正(灌園)筆(着色)、この肖像画は元岩崎家遺族から本郷の一書肆に出たもので、牧野富太郎が買い取り白井光太郎君に譲渡したものであるが、今は上野の国立図書館に蔵せられている」のキャプション付きの図(fig46820_08.png)入る]

 白井君はこの肖像の上半身だけを同氏著書、すなわち『増訂日本博物学年表』(明治四十一年発行)に掲げているが、それを私から得た由来はかつて一度も書いたことなく、またいささか謝意を表したこともなかったので、今ここにそれを私から白井氏へ渡った顛末を叙して、その肖像画の由来を明かにしておく。
 な
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