に日本のフジを紫藤と書くのは間違っていることを承知していなければならない。

  ヤマユリ

 関西各地に多いササユリ(Lilium Makinoi Koidz[#「Koidz」は斜体].)にも昔からヤマユリの一名があるが、今日普通に世人のいっているヤマユリは関東地方に多いユリであって、Lilium auratum Lindl[#「Lindl」は斜体]. の学名を有する。花は七、八月頃にひらき大形で香気多く、白色で花蓋片の中央部に黄を帯び紫褐点のあるのが普通品であるが、また紅色を帯ぶるものもある。そしてその色の濃い品を特に紅《ベニ》スジと称して珍重する。
 このユリの鱗茎、すなわち俗にいうユリ根は食用によろしい。ゆえに昔から関西各地では特に料理ユリの名がある。またさらに吉野ユリ、宝来寺ユリ、多武《タブ》ノ峰《ミネ》ユリ、叡山ユリの名もある。また浮島ユリとも箱根ユリともいわれる。
 徳川時代にはこのユリをヤマユリの名では呼んでいなかったが、後ちこのヤマユリの名が段々東京を中心としてひろがって、普通一般の呼び名になったのは明治以降のことに属する。今日の人々はなにかと言えば直ぐヤマユリを持ち出すけれど、このヤマユリの名は近代において普通に幅を利かすようになったものである。それ以前は前記の通り料理ユリなどの名で呼んでいたのである。また徳川時代に出版になった『訓蒙図彙《きんもうずい》』や『絵本野山草《えほんのやまぐさ》』などにはオニユリ(巻丹)、ヒメユリ(山丹)、スカシユリ、カノコユリなどはあっても右のヤマユリの図は出ていない。
 このヤマユリは万葉歌とは全く関係はない。万葉歌と縁のあるものは主としてササユリ、オニユリ、ヒメユリである。多分コオニユリも見逃されないものであろう。
 ヤマユリは日本の特産で無論中国にはないから、昔の日本の学者がいうようにこれを天香百合とするのはもとよりあたっていない。

  アケビと※[#「くさかんむり/開」、16−11]

 人皇五十九代|宇多《うだ》天皇の御宇、それは今から一一〇五年の昔|寛平《かんぴょう》四年(892)に僧|昌住《しょうじゅう》の作った我国開闢以来最初の辞書『新撰字鏡《しんせんじきょう》』に「※[#「くさかんむり/開」、16−13]、開音山女也阿介比又波太豆」と書いてある。昌住坊さんなかなかサバケテいる。
 大正六年に東京の
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