くまわって、植物の採集をした。その間、ほとんど一カ月を費した。土佐の西南端の柏《かしわ》島、沖の島へも行き、また土佐の西の岬と称する足摺岬(蹉※[#「足へん+它」、第3水準1−92−33]《さだ》の岬)へも行った。途中行く行く植物を採集したからその種類も多かったが、これが非常に私の植物知識をふやすに役立った。何といっても植物は採集するほど、いろいろな種類を覚えるので植物の分類をやる人々は、ぜひとも各地を歩きまわらねばウソである。家にたてこもっている人ではとてもこの学問はできっこない。日に照らされ、風に吹かれ、雨に濡れそんな苦業を積んで初めていろいろの植物を覚えるのである。
 私が植物採集に出かける時、その採集品を始末するために、道具をたずさえて行った。吸水紙は無論のこと、押板、圧搾《あっさく》用の鉄の螺旋器また無論大形の採集胴乱根掘り器などいろいろな必要器を持って行った。
 三河の国、高師ガ原を採集した時などは昼間は野天で一日採集して、胴乱一杯につめ、その晩、豊橋の宿屋でその採集品を始末するのについに夜が明けてしまった。夜中何度も宿の女中が床を取りに来た。けれどいつも起きて仕事をしてい
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