産地が殖えたわけだ。その後、さらにシベリア東部の黒竜江の一部にもこれを産することが分かり、遂に世界の産地が飛び飛びに五カ所になつた。
 日本では、上記の小岩村での発見後、それが利根川流域の地に産することが明らかとなり、更に大正十四年一月二十日に山城の巨椋《おぐら》池でも見出された。この発見者は当時京都大学の学生だつた三木茂博士であつた。この池のムジナモは干拓のため不幸にして、その影響を蒙り、惜しいことには、遂に絶滅してしまつた。
 ムジナモは「貉藻」の意で、その発見直後、私のつけた新和名であつた。即ちそれはその獣尾の姿をして水中に浮んで居り、かつこれが食虫植物であるので、かたがたこんな和名を下したのであつた。
 このムジナモは緑色で、一向に根はなく、幾日となく水面近くに浮んで横たわり、まことに奇態な姿を呈している水草である。一条の茎が中央にあつて、その周囲に幾層の車輻状をなして沢山な葉がついているが、その冬葉には端に二枚貝状の嚢がついていて、水中の虫を捕え、これを消化して自家の養分にしているのである。故に、根は全く不用ゆえ、固よりそれを備えていない。また、葉の先きには四、五本の鬚がある
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