前に書いたように、明治二十三年五月十一日にこのムジナモが発見せられた直後、私はこの植物のもつとも精密な図を作らんと企てた時に当つて、不幸にして私にとつては甚だ悲しむべき事件が、私と矢田部教授との間に起つた。
 その時分、私は「日本植物志図篇」と題する書物を続刊していたが、にわかに矢田部氏が私とほぼ同様な書物を出すことを計画し、私は完然植物学教室の出入りを禁じられてしまつた。
 その時は、まだ私が大学の職員にならん前であつたが、どうも仕方がないので止むを得ず、私は、農科大学の植物学教室に行つて、このムジナモの写生図を完成した。後に、それを「植物学雑誌」で世界に向つて発表した。そして、このムジナモはわが国の植物界でも極めて珍らしい食虫植物として、いろいろの書物に掲げられて、日本でも名高い植物の一つとなつた。
 ここに、このムジナモに就て、特筆すべき一つの事実がある。それは世界に向つて誇つてもよい事柄である。即ち、それはこの植物が、日本に於て特に立派に花を開くことである。私はこれを、明瞭に且つ詳細に私の写生図の中へ描き込んで置いた。
 どうした理由のものか、欧洲、インド、濠洲等のこのム
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