賀した。
五月になって、この撥陵遠征隊事件が、がぜん上海租界の大問題となった。殺された「二賊首」というのは――ついでながら、溺死者確数を知らずは、デマで、遠征隊の死者はこの二人以外にはなかったが――たまたまマニラ人で、傭兵として遠征隊に加わった者だった。その方面から事件がバレて、正式にスペイン領事から、上海の米・仏・独領事にたいして交渉がはじまった。遠征隊の指導責任者として、上海在住の米仏独三国市民の名が、挙がっていたからである。
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北ドイツ連邦市民、ユダヤ人、商人、エルンスト・オッペルト。主謀者。
フランス人、天主教朝鮮布教師、アベ・フェロン。案内者。
アメリカ市民、F・B・ジェンキンス。金方。
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目的は、朝鮮某王陵を発掘して宝物と遺骸を奪い、これにたいする身代金を要求するにあったというのである。
米国総領事セワードはやむなくジェンキンスを拘引した。拘引理由は「合衆国が条約関係を結んでいない国土に対する不法にして破廉恥《はれんち》なる遠征ならびに暴行の廉《かど》により」というのだった。どうして仏独よりも先に米国側が問題になったのか、
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