そうであるように永遠に証明さるることのない仮説であり、たんに一つの合鍵であるのに過ぎないが、アメリカ外交史にとってはおそらく比較的名誉ある合鍵であろう。なぜなら、いかなる仮説も必要としない動かすべからざる事実として、オッペルト遠征隊事件の後三年目の一八七一年には正真正銘の合衆国遠征隊が、三艘の蒸汽船の代りにフリゲート一隻、コルヴェット二隻、砲艦二隻からなる大艦隊を伴い、牧師と山師の代りに全権ロウおよび提督ジョン・ロージャースに率いられて同じ江華島を襲い、五個の砲台を破壊し、破四百八十一門、軍旗五十流、朝鮮兵の生命二百五十を奪ったが、そのための理由は前に記したる大同江上の怪米船ジェネラル・シャーマン号の被害(※[#疑問符感嘆符、1−8−77])にあったのだから、どう弁じてみたところで「名誉ある」遠征とはいえそうもないのだ(この不名誉な居直《いなおり》強盗的遠征もまた失敗に帰した。米国の戦略は一八五八年の太沽《たいこ》砲台攻撃の故智にならったのだといわれているが、大院君は清帝とちがって、首都間近の砲台を破られても絶対に恐入らなかったから、空しく引揚げるほかはなかった)。
最後にオッペルト
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