人といっては、ただ虐政者大院君と牛泥棒の水兵あるのみで、前者にたいする王陵発掘事件も後者にたいする死の処罰も、ともに天理と世界正義の発動であり、しかもオッペルトが最後にいたって天から降ったように書加えたところによると例の牛泥棒の不徳漢は「我々の内地進入(撥陵行)を遅延させた張本人でもあった」(どこで? いかにして? はいっさい不明)というから、彼の物語は天の配剤をうまく表現した大メロドラマでもあるわけだ。
 ともあれこれで、撥陵遠征隊の指揮者オッペルトと提案者フェロン師との至善至高の人格は、一応論証された形であろう。だがそれならなぜ、いま一人の大幹部――そもそもこの遠征隊の金方であり、しかもこの事件のため公判廷に立ったただ一人の幹部であった、米人ジェンキンスの人格のために、一言半句オッペルトは弁じることをしないのであるか? ジェンキンスに関しては最後にただ一回きり、しかも本名を記さずイニシァルをさえ一字動かして、「私に最も有用な援助を与えてくれたアメリカ紳士I氏」の存在を書いたのみである。
 いかに巧妙に粉飾されたスキャンダルでも、金筋をたぐってゆけばその地上的本質がたあいもなく曝され
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