わかって、憎むべき摂政その人に対する行為である点が明かになると、いたる所で人々はあからさまに、我々の失敗を悲しんでさえくれた。」同じく――これは東検島へ根拠地を移してのちの記事なのだが――「人々は我々一行の不成功を悲しみ、酒を飲んだ後なぞは、陸上だったら首が飛ぶような摂政攻撃に、花を咲かせた。なかんずく摂政が貨幣を改悪して懐を肥《こや》したはなし、あるいは人民が、必らずや外人は間もなく武装してとって返し、自分たちをこの虐政から救い出してくれるものと信じているといったはなし!」
 理論は理論としておいて――この後の場合の「人々」というのがオッペルトの手記によると「役人」で、しかも大院君から一行へあてた「返翰」をもたらして、このとき東検島沖のチャイナ号へやってきた使者なのだから、事実としては、つじつまが合いかねてくる。第一「摂政に鎖国政策を抛棄《ほうき》させるための第二策[#「第二策」に傍点]」として「朝鮮文で認《したた》めて(オッペルトが)署名した」不敬きわまる手紙を大院君へ送ったのにたいして、四日目に返事が来たというさえおかしいのに、その使者が摂政の悪口をさんざんわめいたうえ、翌日東検
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