たっぷり五、六時間かかるとわかったとき、もはや完全に断念するほかはなかった。「遺憾千万であったが、余はフェロンに告ぐるに、既に予定の時間を超過すること十二時間に及ぶから、これ以上滞在するにおいては、余は一行の生命を保し難き旨をもってした。けだし、潮が干き終らない前に帰船するためには、即座に出発して漸《ようや》く間に会うくらいであったから」。生命あっての物種というどたん場に遭遇しては、遺骨強盗もへちまもあったものではなかった。実際、早々に引揚げてグレタ号へたどり着いた時は、もう潮は干きはじめたところで、もう四、五時間も遅れたら立派にエンコして、つぎの大潮まで一カ月は身動きがとれなかったのだ。
オッペルトの『紀行』は、つとめて一行と朝鮮民衆との間柄が平和的であった点を弁そしている。彼には、こうした弁そのための理論上の根拠があった。曰《いわ》く大院君の虐政は一般民衆の怨嗟《えんさ》の的になっている――そこで、たとえば失敗したグレタ号が大いそぎで川を下る途中でも、「人々はひどく友誼《ゆうぎ》的だった。上陸して休んでゆけと、たびたび誘われたが、この際そうするわけにもゆきかねた。段々我々の目的が
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