であろう。心もち火桶を相手の方へ押しやって、もっと近くへ寄るように勧めた。
「ではお言葉に甘えまして、お座敷へ入れさせて頂きます」
 馬琴と名乗る若者は、ここで一膝敷居の内へ這入ると、また更《あらた》めて頭を下げた。
「その頼みの筋というなア、一体どんなことだの」
「外でもございませんが、この馬琴を、先生の御門下に、お加え下さる訳にはまいりますまいか」
「やっぱりそんなことだったのか」
 何か期待していた京伝は、これを聞くと、吐き出すように失望の言葉を浴びせた。
「はい」
「はいじゃアねえよ。改まって、願いの筋があるといいなさるから、また何か、読本《よみほん》の種にでもなるような珍らしい相談でもすることかと思ったら、何んのこたアねえ、すっかり当が外れちゃった――そりゃアまア、弟子にしてくれというんなら、しねえこともないが、第一お前さん、そんな野暮な恰好をして、これまでに、黄表紙か洒落本の一冊でも、読んだことがおあんなさるのかい」
「ございます」
 馬琴は、飽くまで、石のように真面目だった。
「どんな物を読みなすった」
「まず先生のお作なら、安永七年にお書卸しの黄表紙お花半七を始め、翌年
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