その目録を、眼から離さなかった。おかげで危うく、魚河岸帰りの武蔵屋の荷に、突当りそうになったのを避けは避けたが、一張羅の着物は、腰のあたりを泥だらけにされてしまった。――京伝を訪れた時、襞切れの袴を着けていたのは、まさしくそれがためだった。
それ程熱心に読んで来たせいであろう。長屋の敷居を跨いだ時には、馬琴は両目録中の京伝の著作は、年代順に暗記してしまっていた。
だから京伝が「洒落本の一つも読みなすったか」と訊いた、あの時の馬琴は、内心しめたと、ひそかに腹の中で手を拍《う》っていたに相違なかろう。
「この長屋中の人達にも、当分会えなかろう。だが、厄介者が一人減るんだ。喜んでくれるかも知れねえ」
時々はお医者の代りもしてくれる、調法な人だとは思っていながら、半月も一月も家を空けたりいるかと思えば、夜夜中でも本を読むか、字を書いている変り者の馬琴には、流石に金棒引の連中も、嫁一人世話しようという者がいなかった。が、男世帯の不自由には、いずれも同情していたのであろう。時々は芋が煮えた、目刺が焼けたと、気はこゝろの少しばかりでも、持って来てくれる世話焼は二人や三人ないでもなかった。
寺
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