いて来るのは、黄表紙の文句ではなくて、今し方、腹立ちまぎれに出て行った、弟京山の身の上だった。
 いつとはなしに、曲りくねった根性に育って来た京山を思う時、常に京伝の胸に浮ぶのは、はじめて父母と共に、この銀座二丁目に移った、その翌年の正月の出来事に外ならなかった。
 京伝が十四、京山は七つだった。父の伝左衛門《でんざえもん》は、家主になった最初の新年とて、町内を回礼せねばならなかったが、従者を雇う銭がなく、それが為めに京伝は挟箱《はさみばこ》を肩にして父の後に従い、弟はまたその後について、白扇を年玉に配って歩いた。
「兄ちゃん。おいらアお腹《なか》が痛いから、もういやだ」
 十軒ばかり歩いた頃、こういって京伝を顧みた京山の眼には、涙さえ浮んでいた。
「辛抱しな。もうあと半分だ。その換り家へ帰ったら、おいらがおっかあに凧を買って貰って、揚げてやる」
「凧なんか見たかねえから、早く帰りてえ」
「おめえがいまやめると、お父っあんが困る。いい子だから、もう少し配ってくんな」
 それでもなんでも、腹が痛いといい出して京山は、何んとなだめすかしても承知する様子がなくそのうち次第に顔色が蒼ざめた京山
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