からは、滅多に帰っては来いすまい。わたしが傍に附いていながら飛んだ粗相、面目次第もありいせん」
「来たばかりのおめえが、心配するこたアありゃアしねえや。負け嫌いのくせに、本を漁ろう考えもなく、ただ酒ばかり飲んで、月日を後へ送ってる。同じくらいの年恰好でも、馬琴とは天地の相違だ。可哀想だが、ちと腹を立てさせた方が、後々の為めにもなるだろう。つまらねえ心配はやめにして、鬢《びん》の乱れでも直すがいいわな」
 京伝はことさら弱気を見せまいと、何気なくお菊にいいおいて、独り四畳半の書斎へ這入って行った。
(理太郎《りたろう》はわるきたましいにいざなはれ、よしはらへ来り、すけんぶつにてかへらんと思ひしが、仲の町の夕けしきをみてより、いよ/\わるたましいに気をうばはれ、とある茶屋をたのみて三浦屋のあやし野といふ女郎をあげてあそびけるが、たちまちたましいてんじやうへとんで、かへることをわすれ、さらに正気はなかりけり)
 草稿は、ここで筆が止っていた。
 机の前へ坐った京伝は、いきなり筆を把って、直ぐその先の文句を綴ろうとしたが、前の二三行を読み返しているうちに、雨雲のように、あとからあとからと頭に湧
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