読本書きになったからッて、何も救われるたア限るまい。それどころじゃねえ。戯作なんてもなア、ほかに生計《たつき》の道のある者が、楽しみ半分にやるなアいいが、こいつで暮しを立てようッたって、そううまくは問屋で卸しちゃくれねえわな」
「お言葉じゃございますが、この馬琴は、戯作を、楽しみ半分ということではなしに、背水の陣を布《し》いて、やって見たいと思って居りますんで。……」
「折角だが駄目だ」
「駄目だと仰しゃいますと」
「人間、食わずにゃいられねえからの」
「ところが先生、わたくしは、食わずにいられるのでございます」
「何んだって」
「もとより生身を抱えて居ります体、まるきり食べずにいる訳にはまいりませぬが、一日に米一碗に大根一切さえありますれば、そのほかには水だけで結構でございます。――どのような下手な作者になりましても、米一碗ずつの稼ぎは、出来ないことはありますまい」
馬琴の、底光のする眼を見詰めていた京伝は、その木像のような面に彫《きざ》まれている決意の色を、感じないわけには行かなかった。
「本当にやる気かの」
「三日三晩、一睡もしずに考え抜いた揚句、お願いに参上いたしましたやつがれ、毛頭嘘偽りは申上げませぬ」
「よかろう。それ程までの覚悟があるなら、やって見なさるがいゝ。しかし断っておくが、わたしゃついぞこれまでにも、弟子と名の付く者は、只の一人も取ったことはないのだから、新らたにお前さんを、弟子にする訳にゃア行かねえよ」
「じゃアやっぱり、御門下には加えて頂けませんので。……」
「元来絵師と違って、作者の方にゃ、師匠も弟子もある訳のもんじゃねえのだ。己が頭で苦心をして己が腕で書いてゆくうちに、おのずと発明するのが、文章の道だろう。だからお前さんが、ひとかどの作者になりたいと思ったら、何も人を頼るこたアねえから、おのが力で苦心を刻んでゆくことだ。そいつが世間に容れられるようなら、お前さんに腕があるという訳だし、こんなもなア読めねえと、悪評判を立てられるようなら、腕のたりねえ証拠になる。――どっちにしても、師匠に縋《すが》るとか、師匠の真似で売出そうとか考えたら、それア飛んだ履き違いだぜ。――いくたりの知己ある世かは知らねども、死んで動かす棺桶はなし。つまり戯作者の立場はこれだ。判ったかの」
「はい」
馬琴は力強く頷《うなず》いて、嬉しそうに京伝の顔を見上げた
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