歌麿の顔を見守った。――二十の頃から、珠《たま》のようだといわれたその肌は、年増盛《としまざか》りの愈※[#二の字点、1−2−22]《いよいよ》冴《さ》えて、わけてもお旗本の側室《そくしつ》となった身は、どこか昔と違う、お屋敷風の品さえ備《そな》わって、恰《あたか》も菊之丞《きくのじょう》の濡衣《ぬれぎぬ》を見るような凄艶《せいえん》さが溢《あふ》れていた。
 が、歌麿の微笑は冷たかった。
「お旗本のお使いと聞いたから、滅多《めった》に粗相《そそう》があっちゃならねえと思って断らせたんだが、なぜまともに、おきただといいなさらねえんだ」
「そういったら、お師匠さんは、会ってはおくんなさいますまい。――永い間の御親切を無《む》にして仇し男と、甲州くんだりまで逃げ出した挙句、江戸へ戻れば、阪上様のお屋敷奉公。さぞ憎い奴だと思し召したでござんしょう。――ですがお師匠さん。おきたの心は、やっぱり昔のままでござんす。ふとしたことから、お前さんの今度の災難を聞きつけましたが、そうと聞いては矢も楯《たて》も堪《たま》らず、お目に掛れる身でないのを知りながら、お面《めん》を被《かぶ》ってお訪ねしました。――ほんに飛んだ御難儀、お腰などおさすりしたい心でござんす」
 黙って眼を閉じていた歌麿は、そういってにじり寄ったおきたの手の温《ぬく》みを膝許《ひざもと》に感じた。
「いや、折角《せっかく》の志しだが、それには及ばねえ。今更お前さんに擦《さす》ってもらったところで、ひびのはいったおれの体は、どうにもなりようがあるめえからの」
 きのうまでの歌麿だったら、百に一つも、おきたの言葉を拒《こば》むわけはなかったであろう。まして七八年前までは、若い者が呆《あき》れるまでに、命までもと打込んでいた、当の相手のおきたではないか。向うからいわれるまでもなく、直ぐさま己《おの》が膝下へ引寄せずにはおかない筈なのだが、しかし手錠《てじょう》の中に細った歌麿の手首は、じっと組まれたまま動こうともしなかった。
「お師匠さん」
「――」
「お前さんは、殿様のお世話になっているあたしが、怖《こわ》くおなりでござんすか」
「そうかも知れねえ。おれアもうお侍と聞くと眼の前が真暗になるような気がする」
「おほほほ、弱いことをおっしゃるじゃござんせんか。そのような楽な手錠なら、はめていないも同じこと、あたしが外《はず
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