まったく踏んだことがなく、わずかに一度、落した大事な莨入《たばこいれ》を、田町の自身番からの差紙で、取りに来いといわれた時でさえ、病気と偽って弟子の秀麿を代りにやったくらい。好きなところは吉原で、嫌《きら》いなところはお役所だといつも口癖《くちぐせ》のようにいっていたから察しても、大概《たいがい》その心持は、わかり過ぎるほどわかっている筈だった。
その歌麿に、ところもあろうに、町奉行からの差紙は、何んとしても解せない大きな謎《なぞ》であった。歌麿は、夢に夢見る心持《ここち》で胸を暗くしながら、家主の指図に従って、落度のないように支度を整えると、人に顔を見られるのさえ苦しい思いで、まず自身番まで出向いて行った。
自身番には、治郎兵衛のいった通り、名主の幸右衛門と、その他月番の三人が、暗い顔を寄せ合って待っていた。幸右衛門は、歌麿の顔を見ると、慰めるように声をかけた。
「飛んだことでお気の毒だが、これア、何かお上《かみ》の間違いに違いあるまい。お前さんのようなお人が仮《かり》にもお奉行所へ呼び出されるなんてことは、ほんとの災難だ。――だが心配は無用にさっしゃい。天に眼あり。決して正直な者が罪に陥《おち》るようなことはありゃアしねえからのう」
口の先では強いことをいっているものの、町役人達も、さすがに肚《はら》の中の不安は隠せなかったのであろう。同心渡辺金兵衛の迎いが、一刻でも遅いようにと、ひそかに祈る心は誰しも同じことであった。
しかも五月の空は拭《ぬぐ》った如く藍色に晴れ、微風は子燕の羽をそよそよと撫《な》でていたが、歌麿の心は北国空のように、重く曇ったまま晴れなかった。
四
それは正に、夢想《むそう》もしない罪科であった。
両国広小路の地本問屋《じほんどんや》加賀屋吉右衛門から頼まれて大阪の絵師石田玉山が筆に成る(絵本太閤記)と同一趣向の絵を描いた、その図の二三が災《わざわい》して、吟味中《ぎんみちゅう》入牢《じゅろう》仰付《おおせつく》といい渡された時には歌麿は余りのことに、危《あやう》く白洲《しらす》へ卒倒《そっとう》しようとしたくらいだった。
死んだような気持で送った牢内の三日間は、娑婆《しゃば》の三年よりも永かった。――その三日の間に歌麿は、げっそり[#「げっそり」に傍点]頬のこけたのを覚えた。
「これからは怖《こわ》くて、
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