なる。更に共産党、人民の党と考えていたものを裏切ったと思う、苦痛もある。
 私は眠れないまま、しきりに催眠剤を用いるようになった。はじめはカルモチンなら十錠、アドルムなら二錠で眠られたのが、しまいには、カルモチン五十錠から百錠の間、アドルム十錠ほど、一気にのまなければ眠られなくなった。それも飲むと眠たくなる代りに気持よい昂奮状態《こうふんじょうたい》が訪れる。そして桂子との交合。その疲労を忘れるため、昼間もアドルムを飲んでは、原稿を書く。
 私は前から酒好きで、その酒も強いほうだったが、催眠剤を連用しはじめると、酒だけではまるで酔えなくなった。私は昔のボート選手で六尺、二十貫。それでも一升飲めばいい気持になったのだが、そのうち、焼酎《しょうちゅう》一升飲んでもケロリとしているので、酒と一緒に催眠剤を飲むようになる。また、そのほうが安上りというサモシイ気持もあったのだ。そのおかげで私は、桂子の肉体と催眠剤の中毒患者になった。そのどちらもが一日でもないと、禁断症状がおこり、私は口を利く気力さえない半死半生の病人のようになる。
 そのままでは、私の健康も才能も、また疎開先の妻子もダメになると思って、私はやりきれない気持だった。そこで私は酔うと酒乱になる桂子と喧嘩《けんか》する度に、それをよい機会と思い、妻子の田舎に逃げ帰るのだが、そこで、妻の表情のかたい、甲羅《こうら》をかぶった無言の軽蔑《けいべつ》に出あうと、死ぬほど桂子が恋しくなり、また彼女のもとに逃げ帰ってしまう。
 また桂子が酔って見境がなくなり、遊びに来ていた他の男たちと夜の町にとびだしてゆくと、私も嫉妬《しっと》を起して、他の男たちと夜の町にとびだし、よからぬ場所に泊り、娼婦《しょうふ》と共に寝たこともあるが、そんな場合、私は桂子の肉体を思って、どうしても、その他の女に触れる気になれない。皮肉なことに少なくとも、結婚後は私のために貞操を守ってきたらしい妻に対し、私は少しも貞操を守りたくなかったのだが、私と一緒になる前、夜の天使同様だった桂子に、私は期せずして貞操を守るようになった。
 桂子は前に同棲していた異国人から、縞馬と呼ばれていたという。色の浅黒い、手足の小さい、小柄の女で、顔は平べったく、低い鼻の穴が大きく天井を向いている。化粧すれば、そうみっともない女でもなかったが、素顔の時は呆れるほど平凡な泥臭い
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