が、私の学生時代、合宿していた艇庫の近くのある料理屋の娘と分る。それは昔、とにかく、カフェにある種の義理人情や、エチケットの存在していたのを知っている女給さんである。
彼女に比べると、私の桂子はひどく泥臭く、もの欲しげな女にみえた。私は数日前の放浪時代、浅草のレビューの女優さんたちとものを食べ、酒を飲んだこともあったが、彼女らも敗戦前の彼女らに比べ、夢やヴァニティがなく、ただ物欲的なのに失望した。そして、それよりも失望したのが、この新興喫茶というものの女給たち。そこに、一口にいえば、こんな風にガッツいていないタイプの組長に逢って、私は嬉しかった。
その夜も酔ってしまうと、省線に乗るのが面倒になり、ハイヤーで帰る。これは日本の木炭自動車で八百円。帰って、ふたりで寝ると、習慣となった摩擦行為が繰返される。私は自分の肉体の衰えと、彼女の身体のハリキリ方を身にしみて感じる。
翌日から私は仕事を始める積りだったが、朝、ふっと彼女の身体に触ってしまうと、前夜の酔いも残っていて、私には仕事ができない。オバさんに頼み、近くの薬局からアドルムを買って来て貰うと、朝から二錠、四錠とのみ出し、終日、布団の中でうつらうつらしている。そうすると稼がない私に対して、彼女の仮借ない憤怒《ふんぬ》。私はアドルムを飲むと、羊が狼に代り、絶対君主の彼女をなぐったり、蹴ったりするのを、桂子は極端に恐れているのだ。
だから、私はアドルムを制限され、その夜、五錠しか与えられない。すぐに高鼾《たかいびき》で眠ってしまう彼女の横で、私は苦しくてならぬ。これでは明日も、明後日も、永遠に仕事ができぬであろう。それに一銭の金も置いてこなかった妻子たちのことを思うと、私は尚更、眠れぬ。彼女が折角、勤めに慣れだしたところにとびこんできた私は重々、悪いが、なんにしても仕事ができなければ仕方がないから、その妻子の問題と、薬の中毒が解決するまで、また桂子と別れ、姉のもとに行っていようと思う。
彼女は米を買う金もないと言いだしたから、私は大切にしていたクロポトキンの「ロシア文学の理想と現実」、ジョイスの「ダブリンの人々」他二、三冊の洋書を、訪ねてきた編集者に頼み、一面識だけある本屋の社長に図々しくも売ってきて貰う。しかもその後で、私は彼女に万という貯金のあるのも分った。
昔、彼女と同棲《どうせい》していた頃、私は彼女
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