たラーメンを二杯も食べる。昨夜のリリーに見た時のような恐るべき食欲。
 帰って私たちは死んだように抱き合って寝る。朝、目がさめると、途端に私のほうからしかけてゆく抱擁《ほうよう》。酒場に勤めていた時、まるで浮気をしなかったかどうかを私は知りたい。それで色々に白状させようとするが、彼女はそのことに関すると、穿山甲《はりねずみ》が全身の毛を逆立てたような表情になるので、私は彼女を信じるよりほかない。私はこのようにして段々、嫌いになっていったのを桂子は忘れているのだ。
 それは男だけに浮気の権利があって、女にはないというのではない。一度、私が桂子を棄てた以上、その間に、彼女が売春をしたことがあっても仕方がない。ただ、そうしたお互の恥ずかしいところを全部、見せ合うところに、お互の愛情と信頼が生れると思う。それがなかったために、私は妻が厭《いや》になったのだ。けれども、桂子は、それを私のカマかワナのように思っているらしい。
 翌日は、彼女に勤めをやめさせる日。最後の晩、気持よく勤め、みんなにも挨拶したいというので、私は銀座|界隈《かいわい》、顔見知りの編集者に厚かましくタカって、十時半頃になってから、「うらら」に出かけてゆく。
 青い照明の、他の厚化粧した女たちと、酔った男たちのいる店でみる桂子は別人のようだ。他の女たちに比べ、わざとらしく肩を張っているのも、田舎っぽいのも、小柄なのも、私には可憐《かれん》にみえた。彼女は私が四、五百円の現金しか持ってゆかなかったのが不快らしく、一分と落着いて、私の席に坐っていない。私のことを、ひどい焼餅やきと桂子の宣伝が利いているので、他の女給たちが心配し、何度も、「桂子さアん」と呼んでくれるのだが、桂子は故意に、小さい身体をチョコマカと動かし、客たちの間をぬって、ダンスしている。私はその彼女の利かぬ気を微笑で眺め、他の女給とダンスを始める。
 曲がタンゴでもブルースでもかまわず、トロットのボックスを踏んでいればよい怪しいダンス。戦前、やかましいダンスを覚えた私には、それがまるで気ぬけしたみたい。しかし、結局、音痴でダンス嫌いの私には、このほうが気楽でよい。
 一曲、踊って席に戻ると、桂子の組長だという、しっかりした美貌の女給が私の前に坐る。一目みて、江戸っ子と分る、垢《あか》ぬけした化粧に歯ぎれのよい口調。暫く話し合っているうち、私は彼女
前へ 次へ
全21ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 英光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング