らか正気づき、自分でフラフラ立上る。着物の前ははだけ、裾からは真黒な足袋跣足《たびはだし》。通りがかりの少年が、「やあ、女のお化け」といったのをムキになって怒り、「この野郎」と絶叫しながら追いかけていった。私はその後ろ姿を眺め、彼女が幼女時代、農村でそんな風にお転婆だったろうと想像し、微笑してしまう。
 私も少年時、鎌倉の農村に育ち、桂子のような少女たちに、しきりに好奇心と淡い恋情を感じたことがある。都会に出ていって、悪い病気をうつされ、まだ若くして死んでいった、そうした多くの娘たち。その娘たちに感じていた愛情が、桂子の上に爆発したのだ。
 十六、七の頃、近くの老農に犯されようとしたり、医者の息子に追いかけ回されたという彼女。十九の年、田舎碁打ちに誘惑されて処女を失い、二十一の時、身内の勧めで、気に入らぬ結婚をし、姑や小姑たちと仲が悪く、カフェの勤めに出たり、夫の出征した後では、印刷工場に入って自立し、敗戦後、帰還した夫を嫌って、離籍し、ある異国人と同棲《どうせい》し、その異国人が、ブラック・マーケットで本国に帰された後は、女給勤めのかたわら夜の天使のようなことをしていた彼女。そんな桂子に、私は敗戦日本の悲しい女性の運命の象徴を感じる。なんとかして、彼女と一緒に自分も助かりたい、浮び上りたいと思っていたのだが。
 私は彼女のハンドバッグと草履《ぞうり》を持ち、酔って少年のあとを追いかけていった桂子のあとを追っていった。少年は近くのS駅の事務員らしく、事務室に逃げこんだのを、桂子は後を追う。そして事務室でクダを巻いているところに、私が入っていって、みんなに謝まり、新宿まで電車で帰る。
 昨夜、そこの溝板の上に、短刀で一突きにされたという青年の死体の転がっていたマーケット。その溝板の上を彼女は足袋跣足で、髪をぼうぼうと乱し、平目に似た眼を吊り上げて、平然と歩いてゆく。その醜骸を、私はどんなに熱愛していたことか。途中、警官の不審尋問にあったが、私がついていたので、なんでもなく済んだ。
 彼女の家に帰る途中に、支那ソバ屋がある。桂子は勤めに出ていた頃、時々お腹がへるとここに寄ったという。ある時は、送ってくれた酒場のボーイを連れて。それはお客かもしれぬと一瞬、邪推したが、その時、私はまだ過去の恥ずかしいことでも、隠さず語ってくれると思う桂子を信じていた。そして桂子は玉子を入れ
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