からやかましく飲み代を制限されるのに困り、また妻子のもとに送る金のことでも煩《うるさ》く言われるのに閉口し、金を方々にかくしたことがある。いまは、その復讐《ふくしゅう》をされているのだと思えば、バカな私は少なくとも、このことに関して桂子を責める気になれない。
 しかし、彼女がその一月の間に三夜ほど外泊し、その度に、分厚い札たばを持ってきて、貯金したという話をきいて、私は愕然《がくぜん》とした。彼女は悪い病気を持っていて、それが私のとび出したあと、殆ど治療していないといっている。それならば、桂子はそうして自分で自分の身を亡ぼしているようなものではないか。私はあれを思い、これを思い、殆ど居たたまれぬ思いで、もう一度、桂子の家を出て、姉のもとにいった。
 そこには妻の勝ち誇ったような顔がある。妻は、私が桂子の家にいっている時、四人の子供を連れ、私たちの留守に、桂子の家を襲った。そして留守番のオバサンから、彼女が三度、外泊した話と、分厚い札たばを持返った話をきき、胸がスッとしたというのだ。その妻は、私の留守中、一張羅《いっちょうら》の着物を質に入れたという。世間の常識からいっても、誰にきかせても、与論は妻の味方であろう。
 だが、その妻の勝ち誇った顔は、私の胸の傷をなお深くえぐった、私はその時から、妻子の顔をみているのが堪《たま》らなくなった。姉が泣きながら止めたが、私は妻と別れると言い張ってきかず、とうとう、妻や幼い子供たちを、姉の家の近くの、長兄の家に追いやってしまった。そして子供たちの養育費は出すが、妻は家政婦として働かせるようにした。
 私は妻の泣き顔をみたようにおもう。だが、それは私の悪いマノン、桂子の泣顔ほどにも、私の胸に残らなかった。
 そして私は姉の離れの十畳を借り、いちばん上の十二の子と、味気ない生活を始めるようになった。朝十時頃、起き、午後の四時頃まではなんとか机に向って仕事を続けていられるが、五時、六時頃になると、死にたいほどの孤独感にふいと襲われ、台所で食事の仕度をしている姉のもとにアドルムを貰いに出かけてゆく。
 二、三時間ほど禁断症状が起ったのを我慢した後だから、四錠ほど飲んでも、いつもの十錠分ほどの効目がある。天国に上昇してゆくような爽快感《そうかいかん》。一日、ひとりで机に向っていた後での無闇に、お喋《しゃべ》りをしたい気持。私は忙がしそうな
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