、暗いほうへ、ずんずん行って、隅《すみ》に立っていたの。気味がわるかったけれど我慢《がまん》して一緒《いっしょ》に並《なら》んでいると、訳のわからない早口を言って、わたしの顔をみたり、なんにも見えない暗い海をみたりしていましたが、いきなり、私の手をこうして握《にぎ》ったのでしょ。ぞうっとして、急いで、振《ふ》りきって、帰ってきたんです。それだけなの」
それだけの事実が、こんなにも歪曲《わいきょく》され拡大されて伝わって行くとはと、ぼくが訳もなく口惜しがっているあいだに、川北氏は考えを纏《まと》め、しずかに意見を述べだしました。
「だから、熊本君、さっきも言ったように、ネルチンスキイ氏に、なにもそれ程の邪意《じゃい》はなかったのじゃないかな。外国人は、女の手を握ったり、接吻したりするのは平気だから、若《も》しかすると単なる親愛の意味からやったに過ぎないのじゃないかとも思う。しかしそういう処へ、男と二人ッきりでいたという、あなたも賢明《けんめい》じゃなかった。これからは、気をつけるんですね。
けれど、ネルチンスキイ氏にも、一度会って話はしておきましょう。なんでも彼方《あちら》の習慣通りにやられては堪《たま》らない。ぼくが会って、あなたのことも、明瞭《めいりょう》に、あやまらせて置きます」
ぼくはこんなにテキパキあなたに話ができる川北氏が羨《うらやま》しかった。ぼくには、悔恨《かいこん》と憧憬《どうけい》しかない。しかし、この人には理性と実行力があるのだと、尊敬する気持で、ぼくは、ネルチンスキイを捜す、川北氏のあとについて行きました。
折よくプウルの傍の手摺によりかかり、海に唾を吐きちらしているネルチンスキイをみつけると、川北氏は傍に近づき巧《たく》みな英語で話しかけます。ぼくは初めから川北氏に無視された形でしたが、ここでも語学の点で、尚更ひっこんでいなくてはならず、それでもなにかの役に立てばと独りで興奮して、二人の会話を傍観《ぼうかん》していました。
ぼくにはよく解らないながら、川北氏の一言一句はネルチンスキイの肺腑《はいふ》に染《し》み渡《わた》るとみえ、彼はいかにも恐縮《きょうしゅく》した様子で、「I'm sorry.」を繰返《くりかえ》しては頷《うなず》いていました。タイなしのカッタアシャツに灰色の上衣をひっかけた五尺そこそこ無髯《むぜん》の川北氏が、六尺有余、でっぷりした赭顔の鼻下にちょび髭を蓄えた堂々たる紳士のネルチンスキイを説得している有様は、まるで書生が大臣をへこましているような快感がありました。
その話も結着して、川北氏に別れ独りになって甲板を歩いていると、なんとも言えぬ淋しさがこみあげてきて、なに一つできぬ自分がほんとに厭《いや》になった。自分の意気地なさ、だらしなさ、情けなさが身にしみ、自分の影法師《かげぼうし》まで、いやになって、なんにも取縋《とりすが》るものがないのです。星影あわき太平洋、意地のわるい黒い海だった。
※[#二重かっこ開く]花は咲くのになぜ私だけ、二度と春みぬ定めやら※[#二重かっこ閉じ]と音痴《おんち》の歌をくり返しては口ずさみ、薄暗い廊下《ろうか》を歩いてゆくと、向うの端から、仄白くあなたの姿が浮《うか》んできました。亡霊《ぼうれい》のような儚《はか》なさで、あなたはまた誰にか罵《ののし》られたのか、両掌《りょうて》で顔をおおい、泣きじゃくりながら近づいて来るのです。
ぼくと向きあっても、あなたは覆《おお》っていた掌《て》を放さず肩をふるわせて泣いているのでした。次の瞬間、ぼくは夢中《むちゅう》であなたの肩を叩《たた》き、出来る限りのやさしさを籠《こ》め、「秋ッペさん泣くのはおよしよ。もう横浜が近いんだ」
すると、あなたは顔から手を放し、子供みたいに、こっくりして領いた。その時の、あなたの瞳《ひとみ》の柔軟《じゅうなん》な美しさは、今も目にあります。「笑って」といったら、ほんとに、あなたはにっこり笑った。
ぼくには、それだけが精一杯だったのです。
あの夜、それだけで別れて横浜まで、お逢いしなかった。けれど、あのときの別れが、今日迄も続いている気がします。
二十六
その翌日――横浜に着く四日前――ぼくは酒を飲みました。
前の夜、あなたに言い足りなかった口惜《くや》しさで、珍《めずら》しく朝から晩まで飲んでいました。そのうち酔《よ》っ払《ぱら》ってしまって、船の酒場に入ってくる誰彼《だれかれ》なしを取っ掴《つか》まえては、管《くだ》をまき盃《さかずき》を強《し》いていました。
日が暮《く》れると、いつの間にかホッケエ部の船室に入りこみ、ウイスキイの瓶《びん》を片手に、時々|喇叭呑《らっぱの》みをやりながら、「レエスに負けたって仕方がねエよ。だけど負けたのは恥《はず》かしいねエ」とかなんとか同じ文句を繰返《くりかえ》しているうち、監督《かんとく》のHさんから肩《かた》を叩《たた》かれ、「どうも君みたいな酒豪《しゅごう》にはホッケエ部で、太刀打《たちうち》できるものがいないから、頼《たの》むから帰って寝《ね》てくれよ」とにこやかに訓《さと》され、「はい、はい」と素直に立ち上がると、自分の部屋の前まで来ましたが、ちょうど同室の沢村さん、松山さんとそこで一緒《いっしょ》になりました。
「大坂《ダイハン》、いい機嫌《きげん》だな」とか、ひやかされてぼくは嬉《うれ》しそうに、「えエ、えエ」と首を振っていましたが、松山さんが部屋に入ったあと、沢村さんがぼくの首を抱《だ》き、覗《のぞ》きこむようにして、「ぼんち、熊本さんは」と囁《ささや》くのが、てっきり、あなたの醜聞の一件を指しているのだと思うと、ぼくには、これ迄《まで》のこの人達の悪意が一ペんに想《おも》い出され、気のついたときには、もう沢村さんの身体《からだ》を壁《かべ》に押《お》しつけ、ぎりぎり憎悪《ぞうお》に歪《ゆが》んだ眼で、彼《かれ》の瞳《ひとみ》を睨《にら》みつけていました。
瞬間《しゅんかん》、ア、しまった、と思った時にはすでに遅《おそ》く、その隙《すき》に立ち直った沢村さんが、「貴様やる気だな」と叫《さけ》びざま、ぼくを突《つ》きとばすと、直《す》ぐのしかかって来て、ぼくの頸《くび》を絞《し》めつけました。
そのとき松山さんが部屋から出て来て、この有様をみるなり、「おい、沢村よせよ、大坂《ダイハン》はだいぶ酔っているぜ」と止めてくれましたが、沢村さんは一度手をはなしたかとおもうと、今度はなんともいえぬ意地悪い眼付で、まじまじぼくを見詰《みつ》めているうち、不意に、平手で、力|一杯《いっぱい》、ぼくの横ッ面《つら》を張った。ぼくはことさら撲《なぐ》られるのも感じないほど酔っている風に装《よそお》い、唇《くちびる》を開けてフラフラして見せているのに、沢村さんは、続けて、ぼくの右頬《みぎほお》から左頬ヘと、びんたを喰《く》わせ、松山さんを顧《かえり》みてはニヤニヤ笑い、「こら、大坂《ダイハン》、これでもか。これでもか」 といくつも撲った。
二十七
そうして、横浜に着きました。
朝靄《あさもや》を、微風《びふう》が吹《ふ》いて、さざら波のたった海面、くすんだ緑色の島々、玩具《おもちゃ》のような白帆《しらほ》、伝馬船《てんません》、久し振《ぶ》りにみる故国日本の姿は綺麗《きれい》だった。鴎《かもめ》とびかう燈台《とうだい》のあたりを抜《ぬ》けて、船が岸壁《がんぺき》に向おうとすると、すでに、満艦飾《まんかんしょく》をほどこした歓迎船《かんげいせん》が、数隻《すうせき》出迎えに来てくれていました。
埠頭《バンド》を埋めた黒山の群衆のなかから、日の丸の旗がちらちら見えるのに、負けてきた、という感慨《かんがい》が、今更《いまさら》のように口惜《くや》しく、済まないなアと込《こ》みあげて来ました。
もはやどやどやと上がりこんで来た連中で、甲板《かんぱん》は一杯《いっぱい》になり身動きもできません。新聞記者さんが一人、二人、ぼくのような者にまでインタアビュウに来てくれるのでした。
しかし色んな事で上気してしまっているぼくには、話といっても別に出来ませんでした。が、その翌日の地方版をみると勇ましく片手を挙げたぼくの写真の下に、※[#二重かっこ開く]坂本君は語る※[#二重かっこ閉じ]として次の様な記事が出ていました。
※[#二重かっこ開く]オォルの折れる迄《まで》、腕《うで》の折れる迄もと思い全力を挙げて戦って参りましたが武運|拙《つた》なく敗れて故郷の皆様《みなさま》に御合《おあわ》せする顔もありません。只《ただ》、心配なのは今度の戦績で、今後日本人がボオトに於《おい》て、果してどれだけの活躍《かつやく》が出来るかと危ぶまれることです。この上は、四年後のベルリンに備えて、明日からでも不断の精進を続け、必ず今日の無念さを晴らしたいと存じます※[#二重かっこ閉じ]
ぼくは、ぼくの気持通りに書いてくれた、記者さんの御好意に感謝はしましたものの、今更のようにジャアナリズムの魔術《まじゅつ》に呆《あき》れたものです。ぼくの寸言も真実、喋《しゃべ》ったものではありませんでした。
さて、横浜に着く迄に、あなたに訊《き》いておきたかった一言は、やはり、「あなたはぼくが好きですか」でありました。その返事を聞けなかった事がぼくの心残りだと、この手記の始めに思わせ振りに書いて置きました。然《しか》し、聞いたからとて今思えばなんになろう。今になって残っているのは言葉でも肉体でもなく、ただ愛情の周囲を歩いた想《おも》い出だけです。今のあなたにはお逢《あ》いしたくない。
あのとき、帰りの船であなたがぼくの啄木歌集の余白に書いて下さった言葉を覚えています。
※[#二重かっこ開く]往《い》きの船ではずいぶん面白《おもしろ》く御一緒《ごいっしょ》に遊んで頂きましたわ。真珠《しんじゅ》の夢《ゆめ》のように一生忘れられない思い出になりましょう。日本に帰りましたら是非お遊びにいらして下さい。寄宿舎の豚小屋《ぶたごや》に※[#二重かっこ閉じ]
そして、その頁《ペエジ》のすぐ裏には、レスラア某氏《ぼうし》の書いてくれたこんな文句がありました。
※[#二重かっこ開く]世界は酒と女と金※[#二重かっこ閉じ]
横浜|沖《おき》で歓迎船が見えだしてから、ぼくは慌《あわ》てて、あなたの写真を内田さんと一緒に撮《と》らせて貰《もら》いました。あなたの衣裳《いしょう》も顔も皺《しわ》くちゃにレンズのなかにぼけて写っていました。あなたの顔は往きの船の健康さにひきかえ、憂《うれ》いの影《かげ》で深く曇《くも》っていました。ぼくはそれをぼくへの愛情の為《ため》かと手前勝手に解釈していたのです。
帰朝して三日目、高知県主催の歓迎会が丸の内の中央会館でありました。あなたも同じ高知県なので、勿論《もちろん》お逢いできると思い、慌てて道を歩き交通|巡査《じゅんさ》に叱《しか》られるほどの興奮の仕方で出席しました。しかし、面窶《おもやつ》れしているあなたにお逢いしても、やはりなんにも話せませんでした。
只《ただ》、エレベエタアを一緒の箱《はこ》で、身体《からだ》が触《ふ》れ合って降りたときと、挨拶《あいさつ》に壇上《だんじょう》に登る際、降りて来たあなたと擦《す》れちがったときとが、限りなく苦しかった。
帰って床《とこ》に入り目をつむっていると、あなたが船のなかでボクサアのIさんとピンポンをしているときの姿態が浮《うか》んできた。あなたはとてもピンポンが上手で、それだけ汗塗《あせまみ》れになってやっていた。薄《うす》い肌着《はだぎ》がぴったりくっつき、あなたの肉体の線が露《あら》わにみえていました。
そのうちどうした機勢《はずみ》か、Iさんの強打した直球が、あなたのスカアトから股の間に飛びこんだら、皆もドッと笑ったけれど、あなただけいつまでも体をつぼめて、ヒステルカルに癇高《かんだか》く笑い続けていました。
笑いが止まるとあな
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