手達は集まっていて、彼等《かれら》の大きな身体《からだ》には、平均五尺八寸、十六貫六百のぼく達も、子供のように見えるほどでした。
それに、彼等が奥さんや、恋人御同伴《こいびとごどうはん》なのも、すぐ眼につきました。
しかし、ぼく達も、隅田川《すみだがわ》での恋人、「さくら」が、一足先きに艇庫《ていこ》に納まり、各国の競艇のなかに、一際《ひときわ》、優美《エレガント》な肢体《したい》を艶《つや》やかに光らせているのをみたときは、なんともいえぬ、嬉《うれ》しさで、彼女のお腹を、ペたペたと愛撫《あいぶ》したものです。
ある国の選手達は、ロングビイチの海水浴場に入りびたり、ビイチ・パラソルの蔭《かげ》に、いかがわしい娘たちと、おおっぴらな抱擁《ほうよう》をしていたのを、見たこともあります。練習場の入口におしよせる観衆のなかから、唇《くちびる》と頬《ほお》の真《ま》ッ紅《か》な、職業女《プロスチチュウト》を呼びだして、近くの芝生でいちゃついていた、外国の選手達もみました。
微笑《ほほえ》ましかったのは、米国のスカアル選手のダグラスさん、六尺八寸はあろうと思われる長身|巨躯《きょく》が軽々と、左手にスカアル、右手に、美しい奥さんを抱《だ》いて、艇庫から、船台まで運び、そこで別れの接吻《ベエゼ》などしてから、お互《たが》いに、片手をあげては、スカアルの小さくなるまで、合図を交《かわ》していました。
独逸クルウの誰《だれ》かの愛人《リイベ》とみえる、一人のゲルマン娘は、いつも毅然《きぜん》としていて、練習時間には、慎《つつ》ましく、ひとり日蔭|椅子《いす》に坐《すわ》り、編物か、読書に耽《ふけ》っていて、その端麗《たんれい》な姿にも、心打たれるものがありました。
然《しか》し、ぼく達は、向うの新聞に、オォバアワアクであると、批評されたほど、傍目《わきめ》もふらずに練習を重ねるのでした。外国のクルウが、一、二回コオスを引いて、一日の練習を終るのに、ぼく達は午前中に四回、午後に四回とコオスを引き、それでも、隅田川にいた頃《ころ》に較《くら》べれば、軽すぎるほどでした。タイムは、それにも拘《かかわ》らず、遊んでいるような外国クルウに比し、全然、劣《おと》っておりましたが、ぼく達は、努力しすぎて負けることを、少しも恥《はじ》とせぬ潔《いさぎよ》い気持でした。ぼくも今は、ただ、ボオトを漕《こ》ぐことだけに夢中になれたのでした。
練習帰りのある日。いつもの様に、独りとぼとぼ、歩いていると、背後から、飛ばしてきた古色|蒼然《そうぜん》たるロオドスタアがキキキキ……と止って、なかから、噛《か》み煙草《たばこ》を吐《は》きだし、禿頭《はげあたま》をつきだし、容貌魁偉《ようぼうかいい》な爺《じい》さんが、「ヘロオ、ボオイ」と嗄《しゃが》れた声で、呼びかけ、どぎまぎしているぼくを、自動車に乗れ、と薦《すす》めるのです。遠慮《えんりょ》なく、乗せて貰《もら》うと、目貫《めぬ》きの通りにドライブしながら、ぼくの胸にさした日の丸のバッジを見詰《みつ》め、「俺《おれ》は日本が好きだ。若いとき、船乗りだったから、横浜や、神戸《こうべ》に、度々《たびたび》行ったよ。ゲイシャガアルは素晴しいね」とか言い、皺《しわ》くちゃの顔いっぱいに、歯の疎《まば》らな口を開け、笑ってみせます。とうとう、煙草の脂臭《やにくさ》い鼻息に閉口しながらも、親切な爺さんの怪《あや》し気な日本回想記をきかされ、途中《とちゅう》でアイスクリイムまで奢《おご》って貰い、合宿まで送り届けられたのでした。
こうして、ぼくはあなたのことを忘れ、只管《ひたすら》、練習に精根を打ちこんでいた頃、日本から、初めての書簡に、接しました。
合宿前の日当りの好《よ》い芝生《しばふ》に、皆《みんな》は、円く坐って、黒井さんが読みあげる、封筒《ふうとう》の宛名《あてな》に「ホラ、彼女《かのじょ》からだ」とか一々、騒ぎたてていました。東海さんの処《ところ》へは、横浜で、テエプを交した女学生七人から、連名のファン・レタアも来たりしました。松山さんにも、シャ・ノアルの女給さんから、便りがあり、皆に冷かされて、嬉しそうでした。
その中、ぼくの名前でも一通、「おや、これは日本からとは違《ちが》うぞ」とぼくを見た、黒井さんの眼が、心なしか、光った気がしました。と、坂本さんが、ぼくの肩《かた》を叩《たた》き、「秋子ちゃんからじゃないか」と笑いながら、言います。皆の顔が、一瞬《いっしゅん》、憎悪《ぞうお》に歪《ゆが》んだような気がしました。我慢《がまん》できないような厭《いや》らしい沈黙《ちんもく》のなかで、ぼくは手紙を受取ると、そのまま、宿舎に入り、便所に飛びこんで、鍵《かぎ》を降しました。
風呂場《シャワルウム》と兼用《けんよう》になっている、その部屋で、ぼくは冷っこい便器に、腰《こし》を掛《か》けると、封筒を裏返してみました。ただ、K生より、となっています。ぼくはてっきり、あなたからだと信じこみ、胸|躍《おど》らせ、封を切る手も、震《ふる》わせ、読み下して行くと、なんだ、がっかりしました。と言っては悪いでしょう。船で知り合った、中学の先輩《せんぱい》、Kさんからの親切な激励状《げきれいじょう》だったのです。再び、表の芝生にでた、ぼくの顔は蒼褪《あおざ》めていたかも知れません。坂本さんから、また、「大坂《ダイハン》、顔色変ったね」とひやかされました。
二三日|経《た》って、午後の練習を終え、ヘンリイ山本君の運転する、ロオドスタアの踏段《ふみだん》に足を載《の》せ、合宿まで、帰ってくると、庭前の芝生に、花やかな色彩を溢《あふ》れさせた、女子選手の人達が、五六人、来ていて、先に帰ったクルウの連中に、囲まれ、喋《しゃべ》り合っているのが、ハッと眼につきました。ぼくは、もう、途端《とたん》に、自動車から、飛び降りたい位、気持が顛倒《てんとう》しました。
しかし、直《す》ぐ、あなたの来ていないのに気づくと、笑いかける内田さん、中村|嬢《じょう》の顔にも答えず、真《ま》ッ赧《か》な顔をして、そのまま宿舎にとび込《こ》みました、と、後ろから、花やいだ笑い声が、追い駆けてきて、「ぼんち、秋っペがいないんで、腐《くさ》ってるのね」確か、中村嬢の声でした。続いて東海さんの低音《バス》が、小声でなにか言っています。また、なにかぼくの蔭口ではないかと、焦々《いらいら》している耳に、内田さんの声が、「熊本さん、この頃、とても、しょげているのよ。可哀《かわい》そうよ」「ぼんちのことで」と誰か女のひとが、訊《き》き返している様でした。ぼくは耳を塞《ふさ》ぎ、声を大にして、「煩《うる》さいッ」とでも、怒鳴《どな》りつけてやりたかった。続いて、聞えてきたのは、太い調子のひそひそ声で、なにか陰険《いんけん》な悪口か、猥褻《わいせつ》な批判らしく、無遠慮に響《ひび》いてくる高らかな皆の笑い声と共に、ぼくは又《また》、すっかり悄気《しょげ》てしまったのです。
女の人達が帰ってから、ぼくの狸寝《たぬきね》をしている部屋に、松山さんと、沢村さんが入って来ました。松山さんは、殊《こと》の他《ほか》、御機嫌《ごきげん》で、「村の祭が、取り持つ緑《えん》で――」という、卑俗《ひぞく》な歌を、口ずさんでいましたが、ぼくの寝姿をみるなり、「オリムピックが取り持つ縁で、嬉しい秋ちゃんとの仲になり」と歌いかえてから、沢村さんと顔見合せ、ゲラゲラ笑いだしました。ぼくは、不愉快《ふゆかい》そのもののような気持で、ベッドに引繰《ひっく》り返ったまま、眼を閉じていると、松山さんは、なおも、手近にあった通俗雑誌を手にとり、ぼくの横にわざと、ごろりと寝て、いかにも精力的らしい体臭《たいしゅう》をぷんぷんさせながら、雑誌をめくり、適当な恋愛《れんあい》小説をみつけると、その一節を、こんな風に読みかえて、ぼくを嘲弄《ちょうろう》しようとしました。
「そう言うと、熊本秋子は、坂本の胸に深く顔をうずめた。その白いうなじに、坂本は接吻《せっぷん》したい誘惑《ゆうわく》を烈《はげ》しく感じたが、二人の純潔《じゅんけつ》のために、それをも差し控《ひか》えて、右の手を伸《の》ばし、豊穣《ほうじょう》な彼女の肉体を初めて抱きしめたのである」
ぼくは泣きだしたい気持でした。松山さんはなおも、厭《いや》らしく女の声色も使って、「『いやですわ。いやですわ』と秋子は叫《さけ》びながら、坂本の胸を両手でおしつけた。秋子の薫《かお》るような呼吸が感ぜられ、坂本は悩《なや》ましいほど幸福な気がした。
『今ではいけないのでしょうか』
『いいえ、日本にお帰りになってから』」
あえて、ぼくは神聖な愛情とは呼びません。しかし、子供めいたお互《たが》いの友情を、そんなふうに歪曲《わいきょく》して弄《もてあそ》ばれることは、我慢《がまん》できない腹立たしさでした。
十五
翌日、練習休みで、近くのゴルフリンクヘ一同でピクニックに行きました。
前夜、眠《ねむ》られぬ頭は重く、涯《はて》しないみどりの芝生《しばふ》に、初夏の陽《ひ》の燦然《さんぜん》たる風景も、眼に痛いおもいでした。
東海さんが、顔|馴染《なじみ》のフォオド会社の肥《ふと》った紳士《しんし》に、ゴルフを教えてもらい、なんども空振《からぶ》りをして、地面を叩《たた》く恰好《かっこう》を面白《おもしろ》がって、みんな笑い崩《くず》れていましたが、ぼくにはつまらなかった。
みんな、写真機を買いたてで、ぼくも金十八|弗也《ドルなり》のイイストマンを大切に抱《かか》えていましたが、なにを写す元気もなく、ぼんやりしている処《ところ》を、あべこべに何度も写されたりしました。
結局、朝から夕方まで、ぼんやり坐《すわ》ったり歩いたりしただけで、帰ってきました。帰ってからポケットにふと、手を入れると、全財産百五十弗ばかりを入れた蟇口《がまぐち》がありません。
ぼくは忽《たちま》ち逆上して、身体《からだ》中や其処《そこ》らを探しまわった揚句《あげく》の果は、恐《おそ》らく、ゴルフ場で落したに相違《そうい》ないときめてしまいました。百五十弗は、当時の為替《かわせ》率で、四百五十円位にあたります。素人《しろうと》下宿をして働いている、母の粒々辛苦《りゅうりゅうしんく》の金とおもえば居ても立ってもおられず、明朝、未《ま》だ皆の起きないうちに抜《ぬ》けだし、ゴルフ場まで探しに行こうと思いました。
翌朝、未明に合宿を出ると、すぐ表で、ぱったり出逢《であ》ったのは、近所の、小さい友達で、リンキイ君、ぼく達がリンカアンと綽名《あだな》をつけた少年でした。ぼくをみると、鳶色《とびいろ》の瞳《ひとみ》を輝《かがや》かせ、「どうしたの《ホスマラア》[#「どうしたの」にルビ]」と可愛《かわい》い声で叫《さけ》びます。十歳位の少年ですが、ぼくとは気が合って、彼《かれ》の家にも引張って行かれ、二間位のせせこましい家に、いっぱいに置かれたオルガンで、下手糞《へたくそ》なスワニイ河をきかされたり、やさしいお母さんにも紹介《しょうかい》して貰《もら》いお茶《コオヒイ》[#「お茶」にルビ]を頂いたり、または彼氏|自慢《じまん》の映画スタアのサイン入りのブロマイドを何枚となく、貰ったことがあります。
その朝、ぼくの様子が気になるのか、彼氏はまた仕草《ジェスチュア》で、ぼくの肩《かた》を叩《たた》き、「なんでも打明けてくれ」というのです。「金をおとした」と答えると「いくら」と訊《き》き、金額を話すと「オウ」と眉《まゆ》を顰《しか》めたり、肩をすぼめたり、おおげさに愕《おどろ》いてみせ、一緒《いっしょ》に捜《さが》しに行く、といいはってきかないのです。
とうとう、二|粁《キロ》もあるゴルフ場まで、ついて来て、朝露《あさつゆ》に濡《ぬ》れた芝生の上を、口笛吹《くちぶえふ》き吹き、探してくれました。ぼくは勿論《もちろん》、一生懸命《いっしょうけんめい》で、隅《すみ》から隅
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