い瞳に怒りだけを示し、縺れる舌で「ほたえな」(ふざけるなとの方言)とぼくを叱りつけ、蜻蛉は彼の鼻先にしたたか噛みついて逃げ去るし、少年のぼくは恐れと狂的に笑いたい欲望に引き裂かれる苦痛を感じた思い出があったので、その老祖父が、「さようなら」してくれたのに、むしろホッとした。無論、その死顔も忘れている。お栄ちゃんは長兄が付添い、避病院の一室で死に、その葬式は祖父と一緒に盛大に営なまれたが、ぼくは自分と同年輩のこの少女の死に、触れたくもない恐怖があり、彼女の記憶もきれいに抹殺されている。
二年経ち、中学一年の春、五十三歳の父が結核性腹膜炎で、アッという間に死んだ。癇癪持で酒乱の父に兄や姉は叱られた怖い思い出ばかり残っているようだが、末ッ子のぼくは父から嘗《な》められるみたいに愛された記憶が強い。まだぼくが小学校に上ったばかりの頃、母が同郷の作家崩れの青年に脅迫され、一週間ほど家出した厭らしい出来事があった。この間の父の、ぼくへの愛情はいま思い出しても狂的爆発的だった。毎日、役所の帰りには実物大の子馬の玩具とか電気機関車のような高価な土産をぼくの望むまま買ってきてくれる、一度は、一生にたっ
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