理の本能から、ぼくは祖母の死因も死顔もなに一つ覚えていない。祖母は享楽好きの土佐女として、五十過ぎても薄化粧したり三味線をひいたり、友人を集め、謡いにこったり花札を戦かわせたりするのを好み、孫のぼくたちを煩さがるような女だったので、彼女の死は少しもぼくを淋しがらせなかった。ぼくは丁度、十歳だった。厳粛な顔の大人たちと共に、祖母の死床の枕頭に坐らせられ、見違えるほど小さく萎びた彼女の顔の上の白布が除かれ、父から始め、彼女の動かない紫色の唇に、ひとりひとりが水に濡らした新しい筆の穂先をおしつけるのを眺めていて、嘔気がするほど気持が悪く、急いでその場から逃げだすと奥の子供部屋で、愛読していた講談本にとりついたのを覚えている。
 続いて翌年、ぼくは例の大正十二年の震災に逢った。ぼくの家は半潰で済んだが、近所には全潰、赤ちゃんを抱いたまま、ぼくの友人の母親が圧死するなぞ、夥《おび》ただしい死者が出て、大揺れの済んだ後、長兄は近くの男たちとその死体発掘作業に従い、ぼくより健康で利発な三ツ上の姉なぞ、その模様を見物にでかけたりしていたが、ぼくは裏の広場に敷かれた戸板に腹這い、未だに現実の世界の鳴動す
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