含まれていない虚無的な別離を意味する日本語。ぼくはそんな空しく白々しい別れの言葉だけが生れ残ってきた処に、この上なく日本の歴史と社会の貧しい哀しさを思うのである。
ぼくは自分から、「さようなら」をいう前に、この三十七歳迄に向うから先に、「さようなら」された多くの肉親や友人のことを想いだしてみよう。ぼくは大正二年、東京赤坂で生れたが、爾来《じらい》、既に胸の悪かった亡父が渋谷、三浦三崎、鎌倉材木座、姥ヶ谷と転々、居を移したのに従い、十歳頃まで一個所に安住した思い出はない。それに現在では六尺二十貫の大男、アドルム中毒と種々の妄想症の他、別に病気はないが、幼年時は百日咳、ジフテリヤ、チフス、赤痢、おまけに狂犬にさえ噛まれた経験さえあるほど多災多病で、時々めまいがして卒倒したり、二六時中、生命の危険に直面させられていた。
だから死に対し普通の幼児はただ無関心のように感じられるが、ぼくの場合は白昼にでも死を想えばうなされるほどの興味や憎悪があった。そんなぼくに、最初に、「さようなら」した肉親は同居していた母方の祖母で、六十そこそこの病死だったと思うが、恐ろしく厭な記憶は自然に忘却できる人間心
前へ
次へ
全47ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田中 英光 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング