分の妻子の、ぼくを失った後の運命を思うのがいちばんの苦痛だった。だがぼくは、(妻子には彼ら夫々の、自分と違った運命がある。その運命に任せておこう)と単純に信じ、自分は工場の一社員寮の舎監となり、妻子を伊豆の田舎に疎開させた際、やはり彼らにも心中であっさり、「さようなら」を告げておいたのである。
 その時のぼくの運命主義、一度、妻子に告げた、「さようなら」の別離感が、敗戦後すでに四年経った現在のぼくの心中に未だ尾を曳いていて、最近、ぼくは自分の家庭を解体させるような愚行を演じた際にも、それがある程度、ぼくの心理を左右したものである。誇張していえば、あの戦争でぼくは余りにも度々、親しい人たちに冷たい「さようなら」をしてしまったので、別離の悲哀に無感覚になったばかりか、緊張病の狂人が自分の糞尿を愛惜するような倒錯心理に似て、自分にいちばん苦痛を与える別離の悲しさを、苦しい故に反って愛するようになったともいえるのだ。
 これ迄、ぼくは肉親や男の友人たちとの、「さようなら」ばかり述べてきたが、ここで最も遣切れぬ異性たちと、「さようなら」を告げてきた苦しい思い出を語ることにしよう。小説の本質が恋愛
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