ろう。ぼくは暫く行ってから振返り、岡田の死体が仰向けに倒れているのを確かめ、心の中で岡田の霊にあっさり、「さようなら」をいった。
約二カ月の野戦生活の間に、ぼくはこのように非情な「さようなら」を幾多の戦友たちに告げてきたものだが、帰還して、軍需工場に勤め太平洋戦争となり、それが日本の敗色濃く、しきりに東京空襲が行なわれるようになると、ぼくは銃後にいても多くの周囲の同胞に、このように非情な、「さようなら」を告げる機会が多くなった。その人たちの中には例えば、自分の工場の女子寮が爆弾の直撃を受け、三浦三崎から勤労動員で来たばかりの、三十人もの無垢な娘たちが、同期に入社したぼくの友人の童貞の舎監と共に即死したようなむごたらしい思い出もある。而しこうした際にも、止むを得ぬ運命主義者になっていたぼくは、(それを彼らの宿命とのみ感じ)、極めてあっさり、「さようなら」とだけ云ってきたものだ。当時ぼくたちは、毎日のように死者を眺め、更に前線の友人たちの玉砕をきかされていたので、自分たちにも明日知れぬ命との実感があり、その場合、ぼくは所有した時から既にその存在を重荷とし、いたずらに苦労ばかりさせてきた自
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