校へ通わせてもらっている幸福な少年たちのように、呑気《のんき》ではなかった。今自分に仕事が見つからなければ、家がどんなに困ることになるかということがちゃんと分かっていた。
だから今断られたことを悲しむ気持は、或《あるい》は父親の平吉以上だったかも知れない。
一男は一年半程まえから、近海航路の貨物船の水夫をしていた。年が年だからむろん給仕で乗り込んだのだが、船が補助機関を設備した帆船《はんせん》だったため、その身軽なところを見込まれて、二箇月とたたないうちに水夫に採用された。実際、彼ぐらい楽々とマストに登って帆をあやつることの出来る水夫はなかった。どんなに風が吹いてもマストがしなうほど揺れようが、彼は平気で軍歌をうたいながらそのてっぺんで働いた。彼は船乗《ふなのり》の暮しを少しもつらいとは思わなかった。皆から快活な性質を愛されながら、自由で男らしいその仕事をむしろ楽しんでいた。それに水夫になってからは給料もよく、家へも十分に金を送ることが出来た。
ところが、九月半ば頃、大荒《おおあれ》の海をのり切って船が大阪港へ入った時、一通の電報が彼を待ち受けていた。
「ハハ ビヨウキ カ
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