エレ」

 彼は別れを惜しんでくれる大勢の兄貴分たちを船に残して、暗い思いで大阪駅から汽車に乗った。
 夕方、本所《ほんじょ》のごみごみした町の、とある路地《ろじ》の奥にある、海の上でも一日として忘れたことのない懐《なつ》かしい我が家へ入ると、すぐ下の妹、十五になるすみ[#「すみ」に傍点]が、前掛《まえかけ》で手を拭《ふ》きながら飛び出して来た。
 奥の六畳の薄暗い電灯の下に寝ている母親の枕もとへ一男が坐ると、五人の幼い弟妹たちがもの珍しげに彼をとり囲んだ。
 母の病気は脚気《かっけ》だった。足が醤油樽《しょうゆだる》のようにむくみ、心臓を苦しがった。無理をして御飯ごしらえ、洗濯から大勢の子供たちの世話まで、この間までつづけて来たのだが、今では立っていることも出来なかった。すみ[#「すみ」に傍点]が工場勤《こうばづとめ》をやめて母代りに働くほかなかった。だが、そうなると母親はすっかり気が弱くなって、ここ半月ぐらいの間、毎日一男のことばかり言い暮した。はじめは相手にしなかった主人の平吉も、さすがに病人の心持が可哀《かわい》そうになった。それほどに会いたがっている一男に一目会わせてやったら
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