、先生の家から出てくる婦人がいつもみんなの評判になった。今でも覚えているが、上からお里さん、お房さん、お俊さん、お瀧さん、お光さんといって、お嬢さんが五人あった。ところが、福澤先生のお嬢さんは、みんなベッピンなんだけれども、弱々しい。その中にあってお瀧さんだけがよく肥って元気そうだった。お瀧さんはその頃十六、七であったろう。小肥りに血色のよい、発剌とした洋装の女性で、今日でも恐らく現代的美人の標準になるだろう。その妹のお光さんもまた美人で優さ形のおとなしい、しとやかなお嬢さんのように印象に残っている。お光さんは潮田傳五郎工学士の奥さんになられた方で、現在の潮田塾長のお母さんである。
 女はいくら利口であっても、女らしさを失ったらダメだ。私の奥さんは私の圧制のもとで暮して来たから、私からいえば一番気に入った女房で、奥さんからいえば、こんな怪しからん亭主はないと思っているだろう。女らしさというのは、亭主に逆らわないということだ。今の人が見たら旧式で封建的かもしれないが、私の時代にはみんながそうだったからフシギではなかった。
 女らしさということになると、武藤山治さんの奥さん(千世子夫人)は
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