宝塚生い立ちの記
小林一三

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鉄砧《かなしき》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から1字上げ]文学博士 坪内逍遙
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        四十年前の宝塚風景

 私が宝塚音楽学校を創めてから、今年でちょうど四十一年になる。今日でこそ、大衆娯楽の理想郷としてあまねく、その名を知られている宝塚ではあるが、学校をはじめた当時は、見る影もない寂しい一寒村にすぎなかった。
 そして宝塚という名称は、以前には温泉の名であって、今日のような地名ではなく、しかもその温泉は、すこぶる原始的な貧弱極まるものであった。その温泉の位置はやはり現在の旧温泉のある附近ではあったが、ずっと川の中へ突き出した武庫川の岸にささやかな湯小屋が設けられていて、その傍らに柳の木が一本植わっていた。そして塩尾寺へ登って行く道の傍らに、観世音を祀った一軒の小屋があって、尼さんが一人いた。湯に入るものはそこへ参詣をしてから、流れの急な湯小屋の方へ下りて行ったものだ。その湧出する鉱泉を引いて、初めて浴場らしい形を見せたのは、明治二十五年
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