は子供の趣味に適したお伽のようなものもよかろうし、歴史噺のようなものもよかろうが、次第次第に歩みを進めて、彼のワグネル等の試みたような大作を演ずる大オペラ団の出現するようになって欲しいものだ。歌劇に就いての研究家等も、昨今では、先ず先ず喜歌劇ぐらいから社会に広めて行くのが今の場合適度だろうと論じて居るような折柄だから、愛らしいこんな少女歌劇団も賛成されるに違いない。(後略)
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 さて、大正七年五月には東京の帝劇へ出て、帝劇へはそれから毎年行くようになった。この東京公演についての批評は、劇界に対する当時の事情を知ることができるので、次に掲げてみよう。
     日本歌劇の曙光
[#地から1字上げ]小山内薫
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『宝塚の少女歌劇とかいうものが来ますね。あなた大阪で御覧になった事がおありですか。』
『ええ、あります。二三度見ました。』
『どうです。評判ほど面白いものなのですか。』
『さあ面白いというのにも、ずい分種類がありますから、私の面白いと言うのと、あなたの面白いと言うのとでは、意味が違うかもしれませんが、私は確かに面白いと思いました。』

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