舞踊界の新人、楳茂都陸平氏を振付に、また作曲者として三善和気、原田潤の両氏を歌劇団の教師に招いた。そして深刻な経営難に脅かされながらも、関係者の努力は、一歩一歩、この新しい舞台芸術の萠芽を育てていった。
坪内逍遙博士の折紙
当時、少女歌劇を御覧になった坪内博士は、宝塚少女歌劇集第一号(大正五年十月)に左の如き一文を寄せられている。
愛らしき少女歌劇
[#地から1字上げ]文学博士 坪内逍遙
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私は予て主張して居る舞踊劇の立場からしても常に双手を挙げて歌劇の隆興を賛して居るものだが、なかなか現在の日本の社会では盛んな流行の見えて来そうな模様がない。その社会の現状に対して愛らしい少女歌劇などの出来たのは思いつきだといわなければなるまい。しかもその少女歌劇団にお伽のものを遣らせて少年少女を歌劇趣味に導きつつ徐々に社会の新趣味を向上させようとの思いつきは頗る適当な方法だと思う。
一言に歌劇といっても、大きいのもあれば、小さいのもあり、深いのもあれば、浅いのもあるに違いないが、先ず現今では浅い小さいものから始めて行かなければなるまい。夫れに
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