、つづいて数年間の苦悩時代を経験した。
この苦況と闘う宝塚少女歌劇団の努力に、先ず最初に深い理解と同情を示したのは大阪毎日新聞社であった。そしてこれを広く社会に紹介するために、また一つには大毎慈善団の基金募集のために、大阪毎日新聞社主催の大毎慈善歌劇会を年末行事の催物として、例年開催するの運びとなり、第一回は大正三年十二月十一日より三日間、それは北浜の帝国座で催された。
この大毎慈善歌劇会は、誕生後間もない宝塚少女歌劇を広く世間に認識させるに大いに役立った。幸いに好評をえて、その翌年もまた北浜の帝国座で公演したが、第三回目からは道頓堀の浪花座に進出して、殺到する観客を収容し切れない、という盛況だった。それで第五回目からは、中之島の中央公会堂で公演することになった。
その他にも、鐘淵紡績慰安会、愛国婦人会慈善会、京都青年会大バザー、医科大学慈善会等各方面から招聘されて、大阪、京都、神戸に出張公演を行なった。
この公演は経済的には頗る恵まれなかった。けれども、その前途に対してやや愁眉を開きうる見極めがついたので、その内容の充実をはかることが何よりの急務となった。そこで関西における
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