々に賞讃するにぞ、却つて得意に之を振り廻したれば、哀れ罪なき鯉は、予の名誉心の犠牲に供せられて、嘸《さぞ》眩暈《めんけん》したらんと思ひたりし。
『やがて、今過ぎ来りし、江東梅園前にさし掛りしに、観梅の客の、往く者還る者、織《お》る如く雑沓したりしが、中に、年若き夫婦連れの者あり。予の鯉提げ来りしを見て追ひかけ来り、顔を擦るまで近づきて打ち眺め、互に之を評する声聞こゆ。婦人の声にて、「貴方の、常にから魚籃にて帰らるゝとは、違ひ候」など言ひしは、夫の釣技の拙きを、罵るものと知られたり。此方《こなた》は愈大得意にて、故《ことさら》に徐《しずか》に歩めば、二人は遂に堪へ兼ねて、言葉をかけ、予の成功を祝せし後、「何処にて釣り候ぞ」と問へり。初めより、人を欺くべき念慮は、露無かりしなれども、こゝに至りて、勢ひ、買ひたるものとも言ひ兼ねたれば、「平井橋の下手にて」と、短く答へたり。当時は、予《われ》未だ、鯉釣を試みしこと無かりしかば、更に細かに質問せらるゝ時は、返答に差支ふべきを慮り、得意の中にも、何となく心安からざりし。
『後にして之を想へば、よし真に自ら釣りしとするも、彼《か》の時携へし骨無し
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